理不尽にこたえる


理不尽の基準は

じつはあいまいなのかもしれない


食事をとれなくなったら


点滴、胃ろう


これらを、おこなえば

生き続けられる


そんなふうになったのは

いつからなんだろう



いつかは

くちから栄養を

とれなくなる



そういうもの


動物達は

いともしぜんにやってのける


たべたくなければたべないし

のみたくなければのまないし


もちろん点滴とか、あるけど

それすらいやなら、くいちぎる子もいる


とにかく栄養を、と

家族が、希望することは

少なくない


点滴も血管の限界がある



何十回とさされた血管は

破綻する


抗がん剤、採血

幾度も幾度も

頑張った血管にも

限界がある




栄養をとれなくなって

衰弱するのは飢餓



だんだんと栄養を必要としなくなる

状況は

飢餓ではない


消耗や悪液質


いずれはだれもが、むかえる



病や年齢を経てのお別れは

だんだんに栄養はとれなくなるし

同時に必要としなくなる



抗がん剤の副作用で

食べられない、などは

このかぎりではないので


抗がん剤を休んだりやめたりすると

食べられるようになったりする



医療は永遠ではなく

限りがあり

人の命もまた

限りがある



そういうことを、

もっと

知らないといけないと

思う




だからといって

1日でも長く生きてほしい、という 

家族の気持ちも、また、真なり



医療を自費でやるようにしたら

点滴とか自由にできるとおもうけど

どうだろ


そうしたら、患者さんもご家族も

希望する医療を

受けられるよね


保険医療は

納得や合意がお互いになされた

人たちだけにするとか?



国の偉い方


ご一考をお願いします

保険診療の逼迫、というなら

みつめなおすべき点だと

おもいます





犬や猫達の命


これもやりすぎれば

人間のエゴになってしまう


物言わね彼らに

何をどこまで


決して人間のエゴで命をきめては

いけないのではないか