今日はすこし寝坊しました

 

今年は計画的に休みを使いたい

 

そうおもっていたのに

いきなりの、です。

 

たしか朝5時半に一度おきて(これはいつもの起床時間)

 

そのあともう一度寝た。

するとジロウが足下にきた

 

あまりの暖かさに

もう一度眠りに・・・

 

🤔

 

さてなにをしようかな。

 

 

 

「このお正月が最後かもしれないね」

 

「だからなんとしても元気でいたいから」

 

そう話す患者さんがいらっしゃいました

 

この時期になると思い出します。

 

 

いつも自分の体調や薬の使い方を記していた。

 

最後最後といいながら数年をすごしていて、

だれもが終わりなんてこないかもって

思っていた

 

 

でも

 

「多分これで詐欺じゃなくなるよ。いつも家族に

しぬしぬ詐欺っていわれていたけど。今年はほんと」

 

 

だからね、とこほんと咳払い

 

「だからこそ、長生きしたいから

入院する」

 

「家で過ごせるのはそりゃあらく」

 

「でも家族が不安がっているのはわかる」

 

「そりゃあ自分が看病する側だったら

大変だと思うもの」

 

「家族のためにも、自分が決める」

 

「緩和ケア病棟に入院する」

 

「よくなったら退院すればいい」

 

「自分がぶれるとね、家族も不安になるんだ」

「だから、自分できめないと。自分が受け入れないとね」

 

ね?と笑う

 

 

がんになってよかったとは思わない

 

でも

 

家族が集まるようになったことは

うれしい、と話していた

 

家族は

家族が元気で当たり前で

いつまでも続くと思っている

 

でも

 

そうでもない。

 

 

昨日と今日、今日と明日で

状況は変わってしまう

 

 

こんなに穏やかに話しておられた

この患者さんも

 

診断されたときから

穏やかだったわけではない

 

 

いろいろな手術

抗がん剤

放射線治療

 

 

それぞれの場面場面で

不安とむきあいながら

恐怖とむきあいながら

 

自分で考え

その道を決めてきた

 

自分できめてきたから

自分流にいきてこれた

 

家族のいうなり、でもなく

医者のいうなりでもなく。

 

インターネットや本も調べるけれど

最後はきちんと医療者に確認して

自分で選択してきた

 

 

なかなかできることではない。

 

 

コロナがなかったあの頃

家族とともに病室でデイルームで

お正月や大晦日を過ごした

 

 

その後もう一度退院。

 

「やっぱり、って言われちゃった」

といいながら退院。

 

 

その後も幾度か入院しながら

過ごし

 

家族と旅行にも行き

 

しばらくして入院

旅立った

 

 

苦しみなく本当に穏やかなお顔だった

 

 

”人生を受け入れる

それが生きることだよ”

 

”つらいことがあってもそれもきっと

意味がある”

 

”だから逃げちゃだめだよ。続けてよ”

 

 

今に繋がる大切な言葉

 

忘れない

 

 



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