やっぱりいろいろに思うことがあって

 

ちょっと

記してみてもいいですか?

 

 

最終的に

 

医学は

 

人間の命を延ばすために

あるのだけど

 

どうしたって

どうにもならなくなるとき

 

ひとの細胞が

終わりをむかえるときが

くる

 

長い短いはあるけれど

いつかは終わる

 

 

 

まず

それが命の大前提

 

しつこくいつも思うのは

いつかはだれもが、なのだけど

それはなかなか認められない

 

まさか

なんで

もっといきると思った

 

そんなことを思っていたら・・・

 

気になる報道を目にした

 

 

 

どうして

こういうことが起きるのだろう

 

そりゃあ高齢だから、とかは

理由にならないけれど

 

高齢の親に

心臓マッサージをすることって

尊厳をまもっているんだろうか

生きていてほしい

けれど永遠ではない

 

生きていてほしい

でも

時がきたのなら

ありがとう

今まで育ててくれて

ありがとう

 

生きていてほしい

おとうさんらしく

おかあさんらしく

いきぬいた

感謝しています

 

生きていてほしい

こんなに急にとは思わなかった

かなしいけれど

さようなら

 

 

そんな気持ちには

ならないのだろうか・・・

 

 

 

もちろん

”なにがなんでも生きたいから

延命治療はばんばんやってほしい”

と、話してたのであれば

話は別

 

 

意識がなく

ただ

心臓の鼓動だけを

再開させること

 

 

 

どうしても

つらく感じてしまうのだ

 

 

 

それが自然の経過であるなら

 

そっと見守るのも

 

尊厳を守るために

必要なのではないだろうか

 

 

 

 

延命治療、蘇生治療が

必要であることは重々承知している

生きる限り生きたのなら

 

静かに

見守ることも

 

選択肢となっても

いいのではないか

 

 

 

何歳まで生きるといいとか

何歳ならいいとかじゃなく

 

 

短い長いでなく

 

生きる

 

生き方

 

生ききる

 

 

いくつまで生きられるか

わからないけれど

元に戻ることがもはや難しいのなら

旅立つとき

そっと見守ってもらいたい


死は

生きるの延長線にあるから