緩和ケアが学ぶべき医療がどうかはべつとして

 

やはり

 

基本的に

医療には緩和ケアが必要と思うのです

 

緩和ケア=がん、のイメージが強いと思いますが

 

決してそうではないと思う

 

もっと

国もバックアップしてくれたらいいのにと思うけど

 

医療が発達しすぎて

その時の間際まで

医療を行おうと思えば行う事ができる

今日このごろ

 

 

それでも

その医療行為は

だれのために

おこなっているのですか?

医者が

自分はやれるだけのことをやった

後は仕方がないんだ、といわんばかりに

点滴をいれてみたり、利尿剤をつかってみたり

 

今の医療は

しっかりとみきわめないと

 

意識はないのに

心臓だけ薬で動かし

呼吸も人工呼吸器で補助できるし

血圧も昇圧剤で上げることはできる

 

 

 

もちろん

それがその方の希望であるなら

それはそれ

 

 

ひとは

いつまで生きなければいけないの?

いつまで生かされなければいけないの?

 

 

人工呼吸器でも人工透析でも

開始するときは

これをするしかない!!みたいに

はじまるのに

 

改善が期待出来なくなったときは

おわることは容易ではない

 

倫理的な問題

生命の倫理

 

 

どうして開始するときには

何とかなるはず

何とかしてみせる!!という

医療者のエゴ

医療者の満足

医療者の・・・

 

知らぬ間にサインをして

はじまった医療・・・

管に繋がった本人をみて

家族はその判断でよかったのか

迷う

 

 

しばらくして

回復の見込みがないと告げられたとき

その判断を

迷う家族はほんとうにいないのだろうか

 

医者はいうだろう

「手をつくしました」

「最大限の努力をしましたが助かる見込みはありません」

だれが満足したんだろう?

この結果はほんとに予測できなかったの?

 

 

患者さんはどう感じてる?どう思ってる・・・・

家族はどう感じる?後悔はほんとにない?

 

 

 

どれだけ医療をおこなっても

永遠の命なんてなくて

いずれは終わりが来るということを

学ぶことも重要だと思う

 

 

命は終わる

いずれ

ならば

苦痛に満ちた死を

希望するのか

少しでも穏やかな死を

希望するのか

 

 

医者は治すためじゃなく

死に逝く過程によりそい

苦痛を取り除きつつその人らしく

過ごすことができるために

あってもいいと思う

 

 

助かることが難しい命と

向き合う医者がいても

いいでしょ?

 

 


 

 

今日はそんなことを考えながら

 

一日をすごしました。

 

 

緩和ケアが嫌われる現状と

必要ではないかと思う気持ちと

 

 

そして

緩和ケアという言葉が

ひとびとに影響を

与えていること

 

 

それらが

心の中で

混沌としている

 

 

折れない気持ちはある

 

 

だれのための

なんのための医療なのか

 

 

検査も技術も発達しすぎたのかも

しれない

 

 

医者は技術だけであってはならない

心を忘れたら

もう医者ではないと思うのは

私だけだろうか