おはようございます

 

卓球金メダルだそう

 

選手達の努力ってどれほどなんだろうな、と

しみじみ感じます

おめでとうございます

 

 

 

私達も

努力しているんだけど

 

”なにもしてくれないところだから”

 

の言葉に

 

心が揺さぶられました

 

その瞬間言葉を失い

意識すら遠のいた

 

 

ある患者さんのご家族から

 

「最近体調がいいから、奇跡が起きたんじゃ

ないかって思う」

「だから検査をしてほしい」

「でも本人には検査のことをいわないで」

 

本人にいわずに画像検査は難しいですよ・・・

 

 

「でもこんなに体調がいいなら

奇跡がおきてるって、わずかでも思いたい」

「CTとかとってほしい」

「1㎜でも小さくなってる、もしくは

消えているかもしれない」

 

 

検査は本人の同意がある程度は必要であること

その結果をすべて隠すことはできないこと

それより体調がよい毎日を続けていき

必要であれば検査はする

 

そう伝えました

 

 

なぜか

 

 

これまで

本人にはっきりとした病状をつたえていない

家族が工夫して

本人の目につかないようにしている

(もともとが悪性腫瘍である事は

診断時につたえられていますが、

体調が不安定でだんだん意識が不明瞭に

なったために言わない選択肢を

家族が判断しました)

 

 

にもかかわらず、いま、とてもしっかりしている今

検査をするということは

いい知らせばかりでなく

悪い知らせも

覚悟するということ

 

 

日本は

基本的にCTが好きです

すぐとって欲しいという

 

子どもが転んで頭をうって

救急外来を受診したときも

CTをとってほしいという母親は多い

 

 

それほど

すぐにCTがとれるのはよいことだけど

 

 

 

その結果を知って

なにを考えるのか

がなければ、今撮らなくても

いいのではないのでしょうか?と

お伝えした

 

 

すると

 

 

 

 

「そうだね」

 

「ここではなにもしてないもんね」

 

「よくなるはずないもんね」

 

 

 

 

 

 

頭を殴られた感じで

ほんとにみみがぽわんとなりました

 

 

 

入院してきたときの意識状態はわるく

今日にも明日にもの可能性すら考えた

でも

様々な点滴を初めとする薬の治療で

食事も摂取でき、会話もできるように

むしろ外来通院時よりよくなった

 

 

それでも

 

 

そう思ってるんだ・・・・

 

 

 

ナニモシテクレナイ

 

ナニモシテクレナイ

 

 

 

 

 

そうですか・・・・・としか

返答ができませんでした

 

 

 

検査は本人家族の希望があれば

行います

 

ただし

うそはつけない

検査をしたら結果を教えて、となる

 それが必要か

 

 

あえて検査しない、ということも

優しさのように思うこともあります

 

 

 



検査をしてほしい

体調がいいから



その希望は

理解できなくはない

たしかめてみたいし

なくなっていたらいいな

確認したい




もちろん

よかった、となることも少なくない

でも

逆もある

体調がよければ

それでよし



けれども

ある程度の

診察で

おしはかる

その上で必要がなければ

検査をしなくとも

医療はできる



緩和ケア病棟


なにもしないはずない


医療はいつか何も、できなくなる

それは緩和ケア病棟だからじゃない

家にいても

集中治療室にいても

どこにいても


人が終末期をむかえることは

避けられない



あきらめていないのに


生きることを


あきらめるなんてしないのに