おはようございます

 

どうも腑におちない

 

どうして

病院というものは

 

オイシャサンの声が

第一に通ってしまうのでしょう?

 

どうしてですかね・・・

 

 

世の中はチーム医療、チーム医療と

あたかも

色々なひとと力をあわせて

医療を行っているように

みえるかもしれません

 

 

 

もちろん以前よりは

チーム医療はすすんでいます

 

ただし

どうしても

 

 

名ばかりに感じてしまいます

 

 

互いが互いの専門性をいかしながら

患者さんにとって最大の利益が得られるように

タッグを組む

 

 

それでも

主治医の声が

通る

 

 

 

とあるオイシャサン

 

「自分は患者に一番信頼されている」

「自分のことは信頼してくれている」

「だからこれは自分がおしつけているわけではない」

「患者が自分を信頼してくれている」

「十分に説明した」

「十分に納得してくれている」

 

 

 

その患者さん

 

「あのセンセイは結局患者の気持ちは

わからない」

「いつも自分がいなければ治療はできないだぞって

そういう雰囲気で接してくる」

「私は、抗がん剤の治療をしたくない」

「何度もそういってみたけど」

「抗がん剤をしないなんてありえない」

「一日でもながく生きたいのでしょう?って」

 

 

「一日でも長く生きたいけど

それが抗がん剤ばかりじゃないでしょ?」

「私は抗がん剤の治療はしたくないの」

「数ヶ月の延命より、動ける今を大事に

したいの」

「抗がん剤抗がん剤っていうけど

それをしたいのはあのセンセイでしょ?」

 

 

「あと40年、いや20年若かったら

治療して欲しいっておもうと思うわ」

「でも、もう平均寿命もこえたのよ」

「いつお迎えがきてもいいの」

 

「がんが怖いんじゃない」

「死ぬのが怖いわけでもない」

「痛いのがいやなの」

 

 

 

 

耳も遠く

ゆっくり会話をしないと

聞こえない

 

ご自分でもおっしゃっていた

”てきとうにうなずいてしまう”

 

これを同意ととってはいけない

 

 

 

 

この件についてもういちどだけ

センセイとお話してみた

 

 

「自分はしっかりつたえましたし

これ以上つたえることはないし

同意されたのだから治療はします!」

 

 

治療するとかしないとか

そういうことでなく

患者さんがそういうお気持ちだったようですよ

伝えただけ

 

 

でもさ

おかしいよね

 

 

本人が治療は、って話すなら

それも選択肢になったっていいのにね

 

 

がん治療=がんばる

がん治療=つらい

がん治療=たえる

 

 

そして

痛みに苦しみながら・・・

 

 

症状緩和しながらの治療では

だめですか?

 

 

耐えないといけませんか?

 

 

抗がん剤も有効ですし

放射線治療も有効ですし

手術も有効です

 

 

 

耐えなくていい症状に耐えるのは

もうやめませんか?

 

 

それから

オイシャサン

 

患者さんの声を

ききませんか?

 

1分くらいでも時間はありませんか?

 

 

お願いします

 

”そっか、つらかったね”

多分その一言を言うくらい

1分もかからないですよね?

 

 

 


ジロウが元気だ。目つきがちがう。

 

ご飯がたべられない、というと

じゃあ点滴を

首がいたい、というと

じゃあ整形外科を

皮膚がかゆい、というと

じゃあ皮膚科を

 

そうじゃなく

まず自分で診察してください

 

診察もせず

触診もせず

なんもせずに紹介することが

チーム医療ではない

 

主治医だ、というなら

総合的に

患者さんをみて

考えてください

 

この患者さんが痛いのはなぜ?

かゆいのはなぜ?

 

そうかんがえてみてください

 

一日でもながく生きたいと

考えるのも当然

だけど

そのために必要なのは

抗がん剤だけじゃないのです

 

あなたはあなたのやり方で

あなたはあなたの気持ちを大切に