おはようございます

 

もやもやがとまらないので

言葉にしてみることにします

 

 

以前に

「そのひとが大事にしていることを

知る必要なんてない」

 

 

そう言い切ったあるオイシャサン

 

「やっぱり、緩和の考え方と

救急の考え方ってちがうんじゃないでしょうかね?」

「命を助けるとき、そんなこと

考えている余裕ないんですよ」

「緩和だと、ゆっくり話しもできるでしょうし

ゆとりがあるでしょうけど」

「なにを大事にしているか、より

治療すること、ですよね」

 

そして

ききまちがいであってほしいけれど

 

「緩和はナア、なんかうけいれられないんだよナア」

 

 

聞き返すのもこわくて

(普段なら少し食いつくけど

そのときは元気がなくて)

そうなんですね〜と

 

そのまま会話は終了

 

 

 

 

心のもやもやを閉ざしていたけど

 

やっぱり腑に落ちない

 

 

救急だと治療がまず最優先される

もちろんのこと

助かる命を助けるため

それが救急

 

 

 

でも

 

 

助からない命を目の前にしたとき

 

この人はどういう人だったんだろう

どういう考え方をするひとだったんだろう

どんな生活をしていたのだろう

どういう将来を思っていたのだろう

 

 

今こうなっていると知ったとき

どういう医療を希望するだろう

そう考えることは本当にないのだろうか??

 

 

ただ目の前の心臓をうごかせば

人工呼吸器を装着すれば

血圧だけ、数字上維持すればいい?

 

それを行うことは

その人をできるだけ元通りの

生活にもどすため?じゃあないのか?

 

 

 

賛否両論がでるでしょう

なにがなんで命を救う

 

とても大切

諦めるつもりはない

 

でも

もしかしたら

その人は

意識がない状態で生きていくことを

希望していなかったかもしれない

 

 

それに想いをはせることが

どうしていけないことなの?

 

 

緩和ケアの心は

すべての医療者に必要な考え方

そう考える

 

 

心のない医師に

身体を預けることはできない

まして

心を預けることはできない

 

 

そういうことなんだよ

 

 

1分でも一秒でも

ながく生きて欲しい

 

そのためになにがベストな選択か

 

そしてその選択をするのは

本人

 

 

話せなくなったとしても

話せない状態であっても

本人が主役

 

 

主役は

 

患者さん

 

 

医師は脇役の脇役

裏方にすぎない

 

 

患者さんの人生は

患者さんのもの

 

それを囲むのは家族や友人

 

医師はそれを超えることはない

あくまでも医学的知識をもって

縁の下から

ささえる

 

その人生という舞台を揺する病にたいして

その人の人生を揺るがさないように治療したり

調整したりするのが

医療者の役目

 

あくまでも縁の下

 

 

だから

その人がどう考えているかを知ることは

なんであっても

大事なこと

 

 

 

医療が進歩し

今までは延命のできなかった病が

延命も治癒も望めるようになってきた

 

 

医師がすごいわけじゃないではないのに

あたかも

自分が神になったかのように錯覚するのだろうか

 

 

 

大事にしていることがなにか

あなたという人をしることで

 

患者は医師を信頼し

医師も患者の気持ちを察しながら

医療を行っていくことができるのだ

 

 

私はそう信じます

 

 

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こまちの気持ち

・ごはん食べたい

・ねることも好き

・家族と一緒にいること

・雷は嫌い

・雨は小雨までにして

・ビニール袋の音がきらい

・掃除機で毛を吸って欲しい

・ジロウに負けたくない