おはようございます

 

今朝は冷たい雨がふっています

皆様のおすまいの地域はいかがですか?

積雪のある地域のかたもいらっしゃるでしょう

 

年の瀬で、気持ちもおちつかないから

気をつけて過ごしましょうね。

 

 

今年は本当に何年ぶりかに

棚のかたづけなどを

行っています

 

去年の今頃

どうしてたっけ?と

ふと考えました

 

義父が、入院したのでした

白血病とともに過ごしていましたが

いよいよからだがきつくなり

入院したのだったなあ

 

最期は鎮静を希望して年始に

旅立ったのですが・・・

 

義父に感謝してもしきれないことが

あります

 

義母のことです

 

数年前から認知力の低下があって

日常生活に影響がでていた義母

そんな義母を支えていたのが義父でした

 

私はたまに顔を見に行ったりする程度

(折り合いが悪くはないが、よくもないこと、

すこし遠方であること、まあすべていいわけですが)

でした

 

義父が白血病と診断されたときには

母は徘徊し迷子になるような

状況でしたので

はて、義父が治療するときに

入院するとなったら

義母をどう、だれが面倒をみるか

 

誰かが義両親の家に寝泊まりする

我が家にきてもらう

社会資源にたよる

 

この三択しかない

 

こういうときさらに遠方の義弟は

「電話ではなすかぎりおかしくないけどね」

「一人でいられるでしょう?」

案外気楽な感じ

 

基本的には息子達で検討して

私はその判断に従おうと考えていた

 

 

そうはいっても

息子達も仕事もあり

すべて義父のように世話ができるわけでもない

 

抗がん剤の治療を行う間の入院は

なんとかやりくりしました

義母も義父がいないことで

おちつかなくなったようですが、

なんとかクリア

 

 

しかし、生活のバランスが崩れるってことは

義母にとって大変なストレスだった

 

夜間もなんどもなんども義父を探しに行こうと

するのです

つきそう息子(特にうちの夫)は

つかれてきました

 

夜眠れず、昼眠れずでは

若くない身体には応えます

 

 

そんなとき

義父がみなに伝えたのです

 

「もう抗がん剤はやらない」

「身体がつらいばっかりで、副作用に

耐えられない」

「やったけど大して体調はかわらなかった」

「もう年もとしだから、いい」

「母さんは今後自分が死んだあと、

一人ではすごせない」

「もっと介護は大変になる」

「だから、介護付きサービスのある施設に

二人で入ろうと思う」

「母さんが1人になってから入るのは

大変だから」

「自分と一緒に入れば、慣れるだろう」

「納得も少しはするだろうから」

 

 

申し訳なさを感じつつも

ほっとする自分もいて

 

もちろんがんばって家ですごさせてあげるべき

っていう意見もあると思うけど

やはり限界があるのも事実

 

自分の母の時はぎりぎりまで家にいれたけど

幸い徘徊はなかった(体力がなかったので)

 

 

そういういろいろなことが

介護の環境を選択するときの

相違点になる

 

 

施設入居については義母は納得していなかった

というより、理解できない

 

父とともに旅行にいる気分になっていて

 

「いつ帰るの?」

「なんでここに来てるの?」

「おとうさんが、こんなとこつれてきて」

 

 

イライラすると

ぺちぺちと義父の手や身体をたたくから

血小板の少ない義父の手は青あざだらけ

 

それでも

「これはとうさんの役目だから」

「きにしなくていいよ」

「これは決めたことだから

悪いとか、いわなくていい」

「こればベストな判断だから」

 

 

いつもそう言ってくれた

 

まだコロナが流行る前

面会に時々行っていた

 

一度だけ義父が笑いながら言ったことを

思い出す

「みんなちょっととぼけちゃっていて」

「ここにいると、しっかり話せる人は

職員のひとだけだよ」

「ちょっと、つまらないな」

「まあこれも経験だからね」

胸がちくん、とした

 

 

そうやって施設から通院し

なんとかなんとかやっていた

 

 

12月末

 

いよいよ

からだがつらくなって

入院する、と

 

連絡があった

 

 

ああ、もう最期だろうな、と

なんとなく感じたのを

思い出す

 

私にとっても大きな存在だったのだな

 

 

家族のことを考えての英断

 

 

感謝しかない

 

 

何度思い出しても感謝しかない

 

そして

義父が家にいたとき、

色々助けてくれた

周りの人

仕事関係の周りの人

 

義母のことも助けてくれ

家族のように接してくれた

 

感謝しかないの

本当に感謝しかない

 

どうやって感謝すればいいか

わからないけど

 

 

ありがとう

 

 

 

私がこうやって仕事ができるのも

家ですごせるのも

 

みなだれかのおかげなんだな、と

痛感してます

 

 

もう一回言っとこ

 

ありがとう

 

 

少し仕事してきま〜す

 

 

image

 

義父が施設に、と決めてくれたことは

意外だったけど

義母の生活も

今は安定しているようです

最もしばらく面会には

いけていない

 

覚えていてくれてるかな?と

心配になる