腹膜がん

 

腹膜というお腹の臓器を被っている膜が

あります

 

そこに腫瘍が発生する

10万人に6人程度と

発生頻度はとても少ない

 

卵巣癌に類似するといわれています

 

しかし検診は確立されておらず

何となくの便通異常や腹部膨満感などの

不定愁訴が中心となることもあり

特に女性だと、少し太ったかな?

ちょっと便秘気味かな?などと

あまり気にしない程度の症状が中心であることも

多く、早期発見をさらに難しくする

 

 

かわいらしい

本当にかわいらしい

いわゆるAYA世代の患者さんを

思い出します

 

クリスマスをおえた今頃

旅立った

 

母娘いつも一緒に受診しておられた

化学療法センターにも母は

いつもつきそって、待ち時間には

編み物をされていた

 

幾度もの治療を行いなんとか病勢を

抑えていたけれど

いよいよ身体がきつくなり

ご飯もうけつけなくなり

抗がん剤治療自体が行えなくなった

 

緩和ケア病棟で過ごすことを提案され

そのことについても話し合っていたとき

”おかあさん、少し先生と二人で話したいんだけど

コーヒーとかのんで待っていてくれる?”と

診察室には私と彼女だけになった

 

 

「母のことを心配しています」

「いつも母は、私優先でした」

「私、自分がもう治らないことは受け入れてるし」

「これまでよく頑張ったって思ってるから

後悔はないんです」

「でも、母を遺していくことは

たまらない」

「もうどうしていいか分からないくらい」

 

母になにも恩返しができてない・・・

と涙があふれてくる

 

「父が亡くなってから、母は仕事して

子育てして」

「私のためだけに生きてきた」

 

 

涙でいっぱいの目を見開いて

じっと私の目をみる

 

彼女に私はどううつっていたのか

 

 

「母のことをお願いします」

「緩和の外来はお母さんだけでも

行っていいから、こまったら行ってね、って

いつも話してるんです」

「私はつらいのだけとってもらえればいい」

「母に悲しみを遺してしまうことが

くるしいんです」

 

 

もちろん

家族も緩和ケアの対象です

 

「母のために、ぎりぎりまで

家ですごしますが、最期は緩和ケア病棟が

いいです」

 

緩和ケア病棟ってつらくない?大丈夫?

 

 

「ははは、先生が聞くのへんですよ」

「先生の病棟でしょ?先生のホームっていうか」

 

「なんか早く入院したいな、って思うんです」

「緩和ケア病棟ならもうがんばらなくていいって

よくがんばったね、っていってもらえそう」

「トイレに自分でいけなくなりそうになったら

入院していいですか?」

 

 

もちろん

いつでも相談にのりますから

 

 

「最期のクリスマスだろうなあ」

「ケーキを一口食べたいなあ」

 

 

そんな話しをして数週間

緩和ケア病棟に入院した

クリスマス前だった

 

 

「あ〜ほっとする」

「もう無理しなくていい?」

「入院してよかった。緩和ケア病棟があって

よかった」

 

 

まだコロナもない頃

クリスマスのイベントを行い

病棟で小さなショートケーキの

クリームの山の

ほんの先端をほおばり

 

「おいし〜〜」と満面の笑み

 

そのクリームだけは

吐くこともなく

しっかり彼女の身体に

吸収されていった

 

 

 

そして

「お正月を目標にするよ」

「伊達巻きにチャレンジだ」

とあらたな目標をたてた

 

 

しかし

 

 

旅立った。

ただ母のことを心配しながら

 

 

生きていくことは永遠であるように思えるけれど

永遠じゃない

 

 

そして

亡くなることは悔しく悲しいけれど

あなたの生きた証は

みんなの胸の中に

 

 

いかに生きるか

いかに生ききるかだと

 

教えてくれた

 

 

やっぱりさ

 

これだよ

 

 

生きる

 

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明日があるか

来年があるかなんて

だれにもわからない

 

一日一日

その日その日を

大事に生きること

忘れそうになるけど

大事なこと