みなさんは死について

話したことってありますか?

 

例えば

死ぬのは怖いな、とか

 

ぴんぴんころりがいいな、とか

 

最期はすーっと逝きたい、とか

 

 

 

私はすーっと逝きたいです

治る見込みがあるなら頑張って治療する

けれど

もし、治るのはもう難しいって

言われたら

ラクにすごして

お別れして

感謝して

さようならっていいたい

 

 

そして

す〜っと

⇒そんなうまくはいかないねアセアセ

 

80代の男性患者さん

肺がんと診断されて、化学療法も

頑張ってきた

 

でも

治療のたびに食事がとれない

だるい、が増えてきて

たしかに癌は大きくなっていないけれど

 

このままでは

残りの人生を治療のために

費やすようだ、と

 

緩和ケアの外来を受診したい、と

希望され受診

 

「ぼくは十分生かさせてもらった」

「家族にも恵まれてしあわせです」

「残りの人生は寿命が先か、癌がさきか」

「わからないけど、体調をみながら

ゆっくり生きていきたいのです」

「なにせ老々介護ですから

最期は緩和ケア病棟で逝きたい」

 

 

そんなこと・・・と涙ぐまれる妻

 

ごめんよ、でもちゃんと聞いて欲しい、と

妻に話しかける

 

「延命治療はいりません」

「これは前から考えていた」

「ただ生かされているだけの人生に

意味はない」

 

承知しました、と返答した

 

妻は

「でも生きていて欲しい」

「点滴とかはしてもらえますか?酸素は?」

 

もちろんしますよ。つらさがとれるように、

つらさがとれて

いえで穏やかにすごせることを

しっかりささえます

 

「緩和ケアにって本人がいうから」

「もう死の宣告をされるとおもって

今日はどきどきしていた」

 

 

患者さん

「ごめんな。でも・・・」

「先生にこういうことを話したかった」

「こういうことを話そうとすると

先生達は目をそらして、癌は大丈夫だから、とかって

パソコンだけみていて」

「僕の目をみてくれてありがとう」

「こういう話がしたかったんだ」

「ほっとした。後を託せそうです」

 

妻も

「こんな風にかんがえているって聞けて良かったです」

 

 

死について

 

なぜ避けてしまうのかな

 

だれにでも訪れるのに

 

急に、かもしれないのに

 

なぜ?と思うけど・・・

 

 

 

これからの患者さんの人生を

しっかりと請け負うよ

 

からだも気持ちも

そして家族も

 

 

緩和ケアにいったら死んじゃうからって

話す患者さん達が外来の前にいた

 

そういうイメージも事実だよね

 

 

否定もしないし肯定もしない

 

ただただ前に

自分の道を信じてすすむしかないよね

 

 

100おこなったことのうち

一つでも患者さんにとって

よいことができれば

 

私はそれで満足(単純なの)