膵臓がんの70代の患者さん


痛みが強い

夜も眠れない、と
訴えられる


外来でも
鎮痛剤の使用を提案され
内科の主治医が
処方してくださった



2週間後の再診

もう痛くないと話す顔は
苦痛様


看護師さんはその言葉と
表情があわないことに気づいた


(大丈夫?薬のんでますか?) 


「もちろん」
「大丈夫」


違和感をおぼえたが
大丈夫なのかなぁと心配しつつも
帰宅された



その3日後

息子さんに連れてこられた

息子さん
「おやじ、薬飲んでないです」
「抗がん剤も、痛み止めも」

体調も悪く
入院になった


緩和ケアチームに依頼

痛みをなんとかしてほしい



私達は病室に伺う
あきらかに痛そうで辛そう

でも
「大丈夫です」と話す


色々うかがうが、大丈夫、の
一点張り


(痛いときはつかえるように
しておきます」

と伝えた


すると

「痛みはとらないでください」

「痛みは自分への罰なんです」
「罰をうけている」


なるほど…

痛みのとらえ方は様々
価値観や生き方によって
耐えられる閾値もかわる



(罰だとしても、もう少しらくに
なるかもしれません)
(ゼロにはしません)
(どれくらいならへらしても
いいですか?)



「減らすなら、減らせるなら」
「半分くらい」


「痛いのもつらいけど、罰をうけないと
いけないから」


半分の痛み


まわりに迷惑をかけていきてきた
わるいこともした

それの罰をうけて
つぐなってからでないと
死ねない、と

涙ぐむ







だれにもおしはかれない
その気持ち


罰に感じることは何かとか
理由をしることは必要ない


その方のいきてきた人生
それそのものに
意味があった、と
とらえる


すこしでも
そう感じられるように
私達は何ができるか



あなたは1人のひと
大切なあなた
それ以下でもそれ以上でもない

あなたなのだ


いのちはみんな大事なの