80代後半の肺がんの男性患者さん

 

診断されたばかりのときに

カンワケア外来に紹介をいただきました

 

「ここにくるなんてさいごのときだ」

「抗がん剤はやりたくないが

死にたくはない」

「抗がん剤をやらないのも

抗がん剤で死なないようにだ」

 

その時点でかなり具合は悪そうで

色々調整をしました

生きていただくために

 

 

ほどなくして、体調をくずし

一般病棟に入院されました

「カンワケア病棟に移動しないか」

主治医は本人に質問しました

 

「カンワケア病棟は最後の最期にいくところ」

「いまじゃない」

 

息子さんたちはおろおろ

なぜなら主治医の先生から

予後が限られていることを知っていたから

また

自分達で自宅で看ることは

もはや困難であることを感じていたから

 

ご家族は

「可能ならカンワケア病棟で入院を」

「自宅では介護できないです」

「それに呼吸も苦しそう」

「おやじはああいうけど、最期のときですよね?」

 

さいごのさいごっていつ?

今?じゃない?

 

今の医療制度だとこの患者さんは

急性期病院の一般病棟では

入院を継続することは難しい

 

「家に帰りたい」

 

主治医は本人の意思を尊重しなければならない、と

 

家族を“説得”した・・・

家族は看護師さんに泣きついた

「なんとか、入院を継続してください」

「なんとかカンワケア病棟にお願いします」

「親父は家に帰るというより

ぼくらと一緒にいたいって言うのが理由なんです」

「それならぼくらは休みをとって

付き添いますから」

 

 

どこですごすか、も大事だけれど

どうすごすか、も大事

 

とにかく日本ではカンワケア医は少なすぎる

専門医として登録されているのは今まだ300人に満たない

そして

ひろくカンワケアの普及をと国はいうけれど

医療者の意識改革が遅れていて

 

 

カンワケア=最期=もうなにもしない

カンワケア=カンワケア病棟

 

この構図が変わらない

 

がん拠点病院にはカンワケアが提供されるように

なっている

 

かなり色々なことに差がある

 

それはね

 

カンワケアは病院の収益にならないから

収益重視の病院は

カンワケアを充実させようとは

思わないのだと思うよ

(あー言っちゃった・・・)

カンワケアなんてだれでもできる、って

思ってる医療者も多いしね

(あーまたいっちゃった)

 

 

幸い当院はカンワケアは収益度外視でいい

それよりも患者さんのために、と

おすみつきはいただいているので

精一杯働きやすい環境ではあり、感謝につきない

だからこうやって

比較的色々なことをすることができる

外来も、チームも、病棟もって

贅沢だと感じている

感謝いたしておりますラブ

 

でも

本当に形だけのカンワケアであるということが多い

それも風のたよりには伺い知る

 

 

先ほどの患者さんについて話をもどします

 

主治医とカンワケアチームは話し合いをした

主治医

「本人が帰りたいといっている以上帰します」

「家族は頑張るのがあたりまえです」

病棟看護師

「でも全介助で動いているし」

「家にかえっても家族は二人しかいない」

「すべての介助は難しいと思う」

「食事も介助がいるようになっているし

トイレもふたりがかりです」

 

この状況ってみなさん

どう感じます??

 

自分が患者なら?

自分が家族なら?

 

(介護保険は申請はできていません。本人が

いやだといったので行っていない状況。

今から申請しても予後と申請がでるまでの時間が

おなじくらい)

(息子さん達はそれぞれ仕事あり)

(家庭はあるが、それぞれ少し遠方)

(介護できるのは息子さんたちのみで

他に親戚はなし。それぞれの妻も仕事あり)

 

 

 

 

ちなみに

私はカンワケア病棟ですごせるなら

カンワケアびょうとうで過ごしたいです

理由;

家族に迷惑かけてまで家にいたいと思わない派

自分も親の介護で心底大変だったから

そんな思いさせたくない

カンワケアびょうとうはせん妄になっても

ちゃんと薬をつかってもらえて

抑制とかされない。ひととしてあつかってくれるから

そうしたいと思う

 

ワン達と一緒にいたいから家でできるだけ過ごしたいけど

なにより

家族に迷惑かけたくない

自分のような思いをさせたくない

と思ってしまう派です

 

今日は緩和と漢字で記載するのやめて

カンワってカタカナにしてみます

 

印象かわります??

 

 

 

次につづきますね

一緒にかんがえてみませんか?