がんと診断されたときからの
出会いだったのに

希望する
治療生活がおくれたのかな

私達になにができていたのかな、と
後悔すること

あります


やっぱり
緩和ケアのイメージは
ひとにより
患者さんにより
ことなる

価値観
死生観の相違


肺がんでStage4
骨転移の痛みがとれなくて、の
出会い


思い返せば
最初からくすりは嫌いだった

痛いのは当たり前
我慢しかない!


ある日
外来にみえたときには
相当の痛みだった

それこそ麻薬を開始
痛みはとれた

が、するとまた、緩和ケアから
遠ざかった

そうやって必要なときには
深くかかわり
達成すると
離れて


ほんとはもっと深くかかわり続ければ
よかったのかもしれない

でもなんとなく
それがこの患者さんなのだけど
最後の意味の緩和ケアを
意識されていたのか

もしくは
緩和ケア病棟のある病院だから
よけいそう思わせたのか


私に勇気がなかったのだな

踏み出す勇気

いつも言うのに
自分は
考えてしまって
療養場所のことをきりだせなかったんだ


自宅にかえる準備をしていた


けど

最期の日の二日前


「疲れた。終わりにしたい」
「家に帰るのは無理だ」
「先生のとこ、入れないの?」
「そこで過ごしたいよ」



あーなんてこと


勝手な思い込みだったのか❗️



もちろん私達の問題だけではない



意思を確認することの
難しさ


治療中の患者さんとの対話の
難しさ


2日後旅立った


「急いで手配する。家族と
連絡とっていい?」

「うん」

これが最期の会話



早期からの緩和ケアについて
ひろめたいのに

まだまだ、です




そう。
この方のお知り合いが
緩和ケア病棟で亡くなったの
その方の妻から
「この人は死なせないで」
と言われていたのもひっかかっていた
生かせてあげられなくて
ごめん
最期は辛くなさそうだったときいた