親子の距離感は
家族によってことなる

仲が良いようにみえても
以外と腹をわれてはいなかったり

仲がわるいようにみえても
実は通じ合っていたり


仲がわるいから
つめたいとか
そういうわけではない、と思う

そして
だから、悲しくないというのも違う


「覚悟している」
「家族みんな覚悟しているから
大丈夫です」


だから納得しているはず
死をうけいれているとはちがう


お別れは受け入れるものじゃない

時間がだんだんに
大切な人のいない時間や空間を
うめてくれる

受け入れなくていいんだよ

ひとが亡くなるのも
自然の摂理のなかで
自然に訪れるもの

待つものでもなく
覚悟するものでもなく

と、私は思います

いきていきぬいて、そして
だれにでも平等に訪れる死


死ぬのはなぜ怖いのか
ときどき考える


くるしいから?
かなしいから?


みなさんはなぜと、思いますか?



ある患者さんの言葉を
かりますね
肺がん、Stage4、転移もあり
肝障害が強く、抗がん剤は
負担が大きいと判断された

最初は悲しんだ、けど
すぐに緩和外来を希望して
受診した

「すこし短いけど十分生きた」
「子供達にしっかりおわかれをした」
「遺産もわけた」
「最高の奥さんに感謝した」
「一度しか経験できない人生なら
やりたいことやって死にたい」
「家族にはなかよく元気に
いきてほしいだけ」
「悲しむのは一日、って頼んだ」
「すぐにお別れを受け入れようとするなって
奥さんに話したよ」
「いつか、俺のいない時間が
当たり前になる」
「それでいいんだ」

しばらくは通院しながら
体調をととのえ、自宅で過ごした

だんだん身体がつらくなり
入院した
長くはないから、と
子供達を呼び、うなぎを食べ
かっこよく死なせてくれよ、と
話した3日後

おやすみ、と妻にはなして
眠り
そのまま永遠の眠りについた


子供達に
名前いりの万年筆🖋が
あとから届いた、と聞いた



かっこよすぎ!


妻は笑った
涙をみせないように言われていたからね、と

涙目で笑った

死は
生きとしいけるもの
いずれ通る道


それを教えてもらった




今頃どうしてる?
みんなを見守っていてくださいよ〜