胆管がんでおよそ1年半闘病した父

 

最期は自分の希望で入院

ぎりぎりまで自宅ですごし

仕事もして

 

今思い返すと身体は

いっぱいいっぱいだったのかなあ

 

時々わたしに

職場まで送ってくれ、と

頼むようになっていて

休んだら?なんて声をかけたこともあったけれど

 

大丈夫って笑っていた

 

普段通り自分らしく過ごしいんだろうと

思っていたが

もっと優しく接すれば良かったな・・・

(自分の出勤前に送ることになるから

なんとなく慌ただしくてね・・・)

 

つねに心配していたのは

母のこと

父がなんでもやってしまう人だったので

母は基本、食事、洗濯くらいしか

しなかった

 

掃除もいろいろ父がすべて

できてしまった

 

そういう夫婦関係だったから

それでよかったけれど

こうやって1つの柱が倒れてしまうと

片方の柱はとてももろい

 

母のことまで

十分に思いやることは当時の私は

できなかったけれど

(なぜなら入院する近くになっても

掃除をしない父を責めていたからね)

父もまたそんな母を残していくことが

不安で仕方がなかったにちがいない

 

「お父さんがぜんぶやっちゃったから」

「お母さんが悪いわけじゃないんだよ」

「仲良くやってくれよ」

 

母と私は水と油みたいに反発しあっていたから

それも心配だったんだろう

 

「大丈夫だよ。なんとかなるから」って

こちらもそっけなく答えてしまったよ。

後悔・・・

 

 

亡くなる前の日

遠くの親戚がやってきた

父がとてもかわいがっていた甥と姪

 

なのに

 

「だれだ?今会いたくない」

 

と帰すようにいわれた

そんなこと言わないで、遠くからきてくれてるのよ

 

「いやだ、かえってくれ」

「会いたくないんだ」

 

そのまま伝えると

人目でいいから、と言われた

迷ったけれど、せっかくだからと

お土産だけ渡す、ということで

病室に入ってもらった

 

幸い父は寝ていた

もういいよ、大丈夫

顔をみれただけでよかったんだと

涙ながらに話し

手を合わせながら

帰って行った

 

父はなぜ会いたくなかったのか?

結局理由は分からずじまいだが

変わった姿をみせたくなかったのかな

 

 

そしていよいよの日の朝

 

父の容態は変わった

身の置き所がなく寝たり起きたりを繰り返す

やたらとトイレに移動したがる

せん妄状態も強いのか

いままでの父とは違う険しい表情

 

 

母と妹はその姿をみて

涙が止まらない

おろおろする

 

私も、特に当時の私は

何もわからないにひとしい殻付きヒヨコの医師

 

ただ、ただそばにいて

つきそうしかできなかった

寝返りをうったときの

寝衣のみだれをなおしたり、

あせを拭いたり

それしかできなかった

 

 

看護師さんに

「私なにしていいかわからない」

とつぶやいたら

とんとん、って背中をたたいてくれて

 

「いまのままでいいのよ

そのままでいいの」

「そのままそばにいてあげてね」

 

と優しく私の側にもいてくれた

 

そのときの言葉がどれだけ

力強くて

優しくて

力をくれたか

 

そして

「私も少し前に父を亡くしたの」

「さびしいよね」

「だけど一緒にいられる時間は

あとすこしだからね」

「付き添ってあげて」

「私もそのときは仕事はやすんだよ」

 

と、私の思っていることを

みすかしたように声をかけてくれた

 

当時の私の上司は

介護でやすんでいたにもかかわらず

「いつになったら仕事にくるんだ?」

「どうせあてにもしてないけれど

そっちが休んでいる間、こっちは

その分大変なんだぞ」

「休むのは勝手だけど、こっちも大変だ」

 

って電話をしてくるような人

 

今ならパワハラよね・・・

 

でも優先すべきは今は父だと思い

亡くなる二日前からはお休みをいただいていた

 

私はこういう上司にはならないと決めた

あなたも医者なら

人の命のことわかるでしょって

今でもはらわたが煮えくりかえりそうになるよ

 

父はその夜息を引き取った

人が亡くなるってこういうことか、と

実感した

悲しみより父が楽になった安堵が大きかった

私は涙もでなくて

しっかりしなきゃしっかりしなきゃって

思っていた

 

母は思っていたより

しっかりしていて

ちゃんと父と向き合えていた

妹もおなじく

 

あっけなく父は旅立った

11月19日だった

少し肌寒くて

 

病院から退院するとき

 

主治医の先生も

看護師さんも

みんな見送りに来て下さった

 

夜遅かったのに

寒いのに

おくってくださったこと

今でも感謝している

 

父は旅立った

75までは生きたいといっていたけど

4年足りなかった

 

荷物を整理していたら

ノートがでてきた

私に買ってこいといったノート

 

家族あて

親戚あてに

短い文で書いてあった言葉

 

葬儀のこと

お別れ会のこと

会葬のお礼につけてほしい俳句?

(11月用、12月用、1月用とかいてあった)

11月用は

“木枯らしに背蓑抱えて ひとりいく”だったよ

 

母への言葉

私への言葉

妹への言葉

 

どれも今でも支えになっている

 

今ならもっと色々な話ができた

今ならもっと父の意向をきいてあげることができた

 

それらの想いが

今私の仕事に就く原動力なのだと思う

後悔はなくならない

でも

精一杯やったことは

患者さんにも伝わるし

なにより

家族のこれからにつながるんだってこと

本当に後悔はなくならない

あれもこれもって思うけどそれでもね

 

今やれることを今やるしかない

いつやるの?今でしょ

後からはできないのだから

 

 

 

お父さんに今の私をみてほしかったな

なんて言ってくれるんだろう?

叱られてもいいから

話したいなあ

 

父が大好きだった母も

父が亡くなった10年ほど後に

父のもとに旅立った

 

ちゃんと仲良くやってる?

妹のとこの子どもも大きくなったよ

見守っていてね