「どうしても最期に立ち会いたい」

どう感じますか?

私も父の最期にはたちあいたい、と
思いました

しかし
まあ、思うようにはいかないもので
一瞬
離れたときに


母も妹も


そのときは後悔したけど

今思えば
父はひとりで逝きたかった

きっと


あれから20年ほど経過

今はそれだけじゃない、と
こころから思う

ある患者さんのご家族
胃がんの患者さん

緩和ケア病棟にエントリーしていた
けれど間に合わなかった

一般病棟でも
十分に緩和ケアは可能
色々な治療をした
苦痛はかなり和らいでいた


患者さんは妻が趣味で特技の
書道教室をつづけることを
楽しみにしていた

何があっても行って欲しいと
伝えていた


私達には
「書道があるからあいつは大丈夫」
「だから俺が死にそうでも書道は
いかせてやってよ」
と、話していた


妻は迷ったけれど
普段通りすごした

段々具合はわるくなり、
付き添おうか、と妻が言っても
頑なに「いい!」と


普段通りに過ごす

心中穏やかじゃなかったかも

でも
病院と書道教室を行き来した

そしていよいよ…
妻は迷いに迷ったけれど
いつも通りに出かけた
短時間できりあげてくるつもり
だったらしい

「行ってくるね」


その後だった

妻は取り乱した
「行かなきゃ良かった〜」
「ごめんね、ごめんね」

スタッフもひきとめなかったことを
悔やんだ
涙した

あしあとあしあとあしあと

退院後
妻は
病棟をおとづれてくださった


「ありがとうございました」
「夫のかおを見ていたら、
私よくやったなぁ、って思えてきてね」
「その時に一緒にいなかったことなんて
どうでもよくなったの」
「荷物の中に、元気に生きてくれって
手紙もあって。泣きすぎるな、とも
書いてあったのよねー」
「お見通しだった」
「つらくなく過ごせていたのよね」
「満足していると思う」

私、生きている間に
頑張ったから、それでいい
そう思うわ、心からね。


そう話して帰られた
清々しい笑顔


生きる間をささえることが
遺される家族を支えることになる
それを学んだ


最期はわからない

呼吸がとまり
その後心拍は残り
やがて鼓動がとまる

だから生きているときに
十分に関われるように
患者さんの苦痛をとること

側にいる家族が安心して
付き添えるように
すること

それが何よりと考えています


生きるを支えることは
安心した
死を迎えるために必要なこと
遺される家族を支えること


雲の上って
どんな感じ?