かなりまえのこと

前立腺癌の多発骨転の
患者さん

できるだけ家で過ごしたい、と
話されていた

大好きな畑を世話したいから
働く息子夫婦のために
まごを預かりたいから

それを目標に
およそ6年
治療を継続

ただ、骨に転移が生じてからは
痛みとの戦いだった

それでも
お孫さんのために
家で過ごすために
緩和ケアの外来と
泌尿器科の外来を
受診しながら生活した

放射線治療や医療用麻薬も駆使した
それだけ上手に
使いこなすなら
患者さんの会で、お話して、と
お願いしたくらい

「だって、自分の痛みだもん」
「先生にだってこの痛さは
わからないとおもうよ」
「とにかく、死んだ方がましってくらい
いたいんだからね」
「でも今の時代でよかった。薬がある」
「むかしのひとはどうしていたんだろうね」


大好きな畑のことも
色々教えてくださった

「孫も畑も、愛情だわ」
「だから、大切なんだ」

なるほど

愛情

だれに対しても
穏やかな患者さんだった


ある日

お家で動けなくなった
比較的前触れなく
急に

骨折に伴う脊髄圧迫を
きたした
来院された時には麻痺は完成して
もう
不可逆的


子供のように泣いた
「家にかえりたいよー」

それからは
家ではみることのできない家族と
家に帰りたい患者さんと
帰してあげたいけど帰るのは難しそうに
感じる私達と

話し合いに話し合いをかさねた

結論はでない

一週間、二週間とすぎる



私は病態として
帰ることは難しい
家族背景としても難しいと
考えていた


あまりにも家にって
言われるのが
妻もくるしくなったのか

だんだん
お見舞いの足が遠のいてしまった




これでは
なんのために家にかえることを
話していたのか


わからなくなっちゃった


そして
ある日

急に…




家族は私達に怒りをぶつけた


「こんなことだったら
帰る帰らないでもめたくなかった」


たしかに

そう
その通り


申し訳ないというしかなかた

家に帰りたい希望は
誰にでもある


それをどう支えるか、は
帰るという物理的な問題を
なんとかする、だけではなく

帰りたい、とおもう
患者さんの気持ちを支えることが
大事だということ


帰りたい=治りたい、もとにもどりたい

であることもある


それについて
配慮が足りなかった


未熟だった



トマトをみると思い出す



7月になり
面会制限はゆるめます

ソーシャルディスタンス
三密をさける
手洗い、うがい
マスク


きを緩めず
症状を緩めるニコニコ