まあ、なんだかんだと入院にいたり

母もお化粧終了口紅化粧品アイシャドウ

当時は
いや、今でもか、

家族だけ
別室によばれて
説明をうけた

黄疸の値は、35!通常は1未満
肝臓も、腎臓も
限界だ、っていうこと

あと、どれくらい?生きられますか?

つい、質問してしまった
すると

「一年くらい大丈夫ですよね?」
「まだ下の子が学生なんです」

あー
先生困ってるじゃないか…


医師
「それば無理でしょう」
「そんなことないとおもいます
点滴をすればなおります」
「大丈夫ですから」


母の希望

かなわないとわかっている、でも

希望

郷里を父と共にはなれ
過ごした

郷里にもどりたいと思ったかもしれない
でも
ふたりで生きていた

母にしてみたら
身体の半分が消える感覚だったのかも

到底うけいれることなんて
できないものなんだ

よく
うけいれがわるいんだよね?このご家族

みたいなことをいう医療者がいる

一度
想像してみて

家族が、大事な人が
今にもいなくなるかも、という
感覚

医師からは

余命は1ヶ月

そう伝えられた



あぁいよいよその時がきた


覚悟しなきゃ


あしあとあしあとあしあと

父は点滴をうけ
らくになった

「先生、なんて?」


「あ、うん。点滴して、よくなるかな、って」


「よくなる?それはないだろう」


「あ、そうは言っていなかったかも?」


「あと1ヶ月だろ」


私「え?」「え?」



父「まあ、いい」
「あーらくになったなぁ。もっとはやく
入院すればよかった」


あぁ驚いた
自分の体調は自分が一番よくわかるってこと
それだけなんだけど

ひとまず入院してよかった

大事なことは
本人がらくであること


帰り際
おいっ、と私をよびつけた

「ありがとう。お前が医者でよかった」

なーに言ってんの、って笑い
明日も来るよ、って

言うのが精一杯
涙がにじむ
いまでも思い出す風景

母や妹の前でなくわけにはいかない

帰り道
なんだか曇っていて

コンタクトレンズのせい、だよね

悲しみって

ひとことではいえないよね



家族の悲しみは
患者さんのつらさと違って
あまり気にしてもらえない


同情
頑張れっていう励まし

ちがうんだなって
思う

うまくいえないけれど
支える
そばにいる
悲しくて当たり前
だけどいつか
前を向けるように

生きる人は
生きなくてはいけないから
前を向いて欲しいから