化学療法を再開したものの
副作用の食欲不振、倦怠感…
「生きている気がしないなぁ」
「死んだ方が楽かもしれない」
そんなこといわないでがんばってよ、と
母がいうたびに、喧嘩
「うるさい!わからないくせにいうな!」
母はそれでもいう
「たべないからよ、たべないから元気にならないからよ」
「寝てばっかり。だから食べられないのよ」
父
「うるさい!!食べられないんだ!
すきでゴロしてない!!」
「じゃあ、お前が変わればいいんだ!」
「わからないくせに、言うな」
毎日こんな感じ
たいていつれあいには強くあたる
患者さん、みんなそうだもの
子供に対する態度は、つれあいに対しての態度とは
違う
親として、そんな態度を見せられないのか
そこまで暴言?ははかないことが多い
家族はそれぞれの立場で支え方が違う
どれがホントの姿か?と家族は迷う
でも
どれもホントの姿だ
自分の見せたい姿をみせるだけなんだけど
家族は心配する。そうだと思う
母も体が丈夫じゃなかったから、大変だった
もともとは父が母をかばって生きてきた
父は母を見送ってから死にたい、と
言っていたくらい
このままの生活がいいのか
みんな限られた時間を穏やかに過ごしたいだけなのに
父にある日
診察についてきてくれないか、と言われた
こんな時、いいことはない
運転しながらドキドキ
暑いねー、なんてたわいのない話をしながら
車中をやりすごした
やせたな、なんかつらそうだな、
こんなに小さかったっけ?と
信号待ちの時に、チラッとみて感じた
診察の時
父
「どうですか?」
腫瘍マーカーはもう計測値外!であることを
告げられる
「先生、今までありがとうございました」
「あとどれくらいですか?先生の経験的に。
しばらく
病院通いをやめて、やりたいことをやりたい」
「最期は入院させてもらえませんか?」
主治医の先生と私は目を見合わせてしまった
主治医
「わかりました。治療よくがんばられましたね」
「ここからは3ヶ月から半年くらいでしょうか」
「最期までしっかり診させていただきます」
私は涙をこらえるのに必死
だからメークもせずに、メガネをかけてきたんだから
泣いてるのがバレないように
わたしの役割を果たすため
しっかりした娘であるため
瞬きをしたら涙が流れるから
小さな目を精一杯見開いた
経過観察には来てください、と言われ
診察室を後にした
コーヒー買ってくるから座っていて、
と
一瞬離れた
父の目に光るものをみた
コーヒーなんてうそ
トイレで泣いた
抗がん剤の治療を終えることの恐怖
その選択のために
父を亡くすのではないか
恐怖と悲しみ
やりきれなかった