退院してしばらく
少しずつごはんを食べるようになり
お寿司をたべたり。

すこしずつふつうの生活に戻ってきた

なんだかこのままでもいいな、と
ふと思った
そのまま、時がとまり
何ごともなく過ぎるんじゃないか、とも思った

あとから知ったことだけど
父もおなじことを思ったらしい

「できれば、何もせず、静かにすごしたいと
思った」
「だけど、あと5年は生きたいともおもう」
「もちろん無理だとわかっているから
心配しなくていい」
「あと一年。生きれたらなぁ」

患者さんが希望を話す時
それは必ずしも
病気のことをわかっていないわけじゃない

希望

もっていい希望

「生きるために、抗がん剤をうけるよ」

こうやって抗がん剤治療がはじまった

外来通院で

定期的に通いながら治療を進めることになった


当初の数ヶ月は何ごともなく
順調に過ぎた
幸い副作用も強くなく
ご飯も食べられる

採血結果も横ばい


「こんな日がずっとつづくといいなあ」
「もっと生きたいなあ」
「生きれるかもしれないな」

体調悪い日によくたべていたもの

卵雑炊🥚

ごはん
ササミ
鰹節
青ネギ
たまご

これだけだがこれが美味しかった、と

母は

健康食品をあさっていた

当時

ア○リスクとか流行っていた。
通販サイトで購入しては、父にのませていた

私は
ほんとは反対だったけれど

それが母のきもちをおだやかにするのなら

見守ることにした

意外にも父も真面目に飲んでいた!のだ!

いつもオロナミンCドリンクとか私が飲むのをみて
無駄だ、とか言っていたのに

父も

いきたかったんだ

死にたくなかったんだ

とにかく
無事に
おだやかに
治療がすすむことを祈っていた


治療の日は
ぐったり
でも
母の差し出す薬は飲む

わらをもすがる
その気持ちに
便乗することは
許せない

けど
ある一定の
意味はあるのかも
なんて
医療者らしくなく
考えることもあるんだな
ショボーンキョロキョロえー