緩和ケアなんて、きれいごと…

たまにやっぱりいわれます。
そうかもしれませんね
否定はしません。

とくに日本では、そのイメージが強いみたいです。

はじまりが、緩和ケア病棟だから、かな?
最期のところ
何もせずみているだけ
助けてくれない
死ぬのを見ているだけ

そんなイメージ
実際どうだったか、それは私にはわからないです

緩和ケアって言葉のインパクトありますよね
なんででしょうか?
イメージかなぁ、なかなか、払拭できないなあ

がんと診断されたとき
とくに難治性のものだと、なんで私が?
なんでこの人が?、となります
治療の手立てがあるときもないときも

私自身かつては治す治療にもっぱら携わっていました
でも、
なおらない、治療しているのによくならない
治療でどんどん体力を奪われる
昨日まで話していた患者さんが話すことができなくなり、ある日急にお別れがくる

もちろんある一定の治療効果を得られる患者さんもいらっしゃるのでがん治療の効果は当然あります。

治癒を見込めないことも残念ながらあるのが
現代の、現時点での医学の限界

ならば生きていくためにがん治療のサポートをしよう
亡くなることは避けられないなら
できる限り生きて、そのときまでを
生きるようにささえる
あなたは、あなたの家族は
痛みや苦しさを我慢していませんか?つらくて
ふさぎこんでないですか?

病気だけじゃなくその人全体をみる
そんな役割があってもいいんじゃない?
と思っています

そして
家族は患者さんと同じくらい大切と考えています
怒り、失望、悲しみ
その感情をうちけす必要はない
その気持ちも受けてたちます
緩和ケアってそういうもの
だんだん緩和ケアの担う意味も変わっています

いろんな言葉を聞くと
落ちこんでしまいそうになる

でも

30年後

何か変わっていたらうれしい

今、緩和ケアに、と言われて
つらく、悲しく、怒りの感情がある方もいらっしゃる
だろうと思う

どうしても抵抗あるなら
専門的な緩和ケアを受けなくてもいい

すでに緩和ケア自体は
主治医、看護師、介護士
すべてのあなたにかかわる
あなたの大切な家族にかかわる医療者から
提供されているはずだから

それでいいです。納得いく医療を
是非うけてほしい
後悔は少なくしてほしい

がんを治す、きっと効果がある、と
いたずらに治療をすすめることも
ある種の、きれいごと?と感じることも多いのですが

なんだか、世知辛い世の中だなぁ


シフォンケーキ
スタッフのご家族が
作ってくださった
おいしい😊
疲れもとびます