がん治療は限界に近づいてきました。

痛みも、でてきて、食事もとれなくなってきました
認知症の妻のために、食事を準備する
自分は食べられないのに。

なぜそこまで?

「昔、自分は何も家のことをしなかった。
娘にも何も。妻と娘のために、迷惑をかけないように
してるんだ」
「でも、限界だ」「入院したい」
「妻は施設にいれます」

延命治療はしなくていい
施設に任せるから、妻のことは娘さんは気にしなくていい

診察室ではっきりおっしゃいました。

娘さん
「え、でも。お母さん嫌って言うよ。お父さんも迷っていたじゃない?いいの?」

患者さん
「そうだね。でもお母さんのために、みんなが今の
生活をおくれなくなるのは、僕は希望しない」
「だから、先生。妻が施設に慣れるまで生きていたい。わけが分からなくなってしまっているけど
僕の携帯には電話してこれる。それができる間は
生きていてやりたい」

そして優しく娘さんに話かけました

「ありがとな。お母さんもすきでぼけちゃったわけじゃないんだから、許してやってくれ。悪いな、全部背負わせて」

娘さんの目からポロポロ涙が流れました

あしあとあしあとあしあと


消化器内科の主治医は抗がん剤を行わないほうが
いまの患者の希望を叶えられると判断
化学療法は行わない方針になりました

妻は夫に連れられ、新たな棲家に
引越ししました。
患者さんは誰にも相談せず、施設を見学し
手配していました

その後患者さんも入院しました

がん治療医への感謝と
緩和ケアチーム、緩和ケア病棟への感謝を
何回も何回も口にされました

緩和ケア病棟で
「先生、これでよかったのかな?間違ったかな?
人生は一度きり、そのにはひとつしかえらべないんだな。あとどれくらいかな?先生わかるんでしょ?」

どうだろう?話せるのは1.2週間くらいかな
出会えたことに感謝していることを話すと

「そうだね。自分でもそう思う。本当に
感謝している」

その後、次第に眠る時間が長くなりました
せん妄と言われる意識の混乱もほとんどなく
家族に見守られながら旅立ちました

臨終の場には妻も同席しました
忘れてしまうかもしれないけれど、
母も立ち合わせたいと、娘さんが
施設に迎えにいきました。
妻も「お父さん、お父さん、ありがとう」

あしあとあしあとあしあと


今どうしておられるかなあ、とふと。

治療医がうまく患者さんをみていること
病気だけじゃなく、患者さんだけじゃなく、家族まで
アンテナをはっていた
緩和ケアに、とその必要性を感じていてくれたこと

緩和ケアって何するの?と言われることが多いけれど

緩和ケアは
体調をととのえ、治療を円滑に行うために人生の喜びをみいだすために
薬やコミュニケーションを通じて
患者さんと家族をささえるもの

もっと広めたいなあ


しばらくデイルームの利用を
控えさせていただきます
ご不便をおかします
また笑顔いっぱいに
なれるようみんなでがんばりましょう