生きることは、誰かのために生きて、誰かも自分のために生きていることだとおもいます。

ひとりでは、人は生きていけない。

何をするにも誰かの助けがいる。

そして

その役割が果たせなくなった時
喪失感、失望感におおわれる

支えてもらうことは必要で、
支えてあげたい、と思うことも大切

支えられることは嬉しいけれど
今まで自分のなかの支えとなっていたことが
できないと意識したとき
しなくていいよ、言われたとき

だれも思ってないけど
私はもう必要ないんだ、とか
もうすぐ死ぬから大事にされるんだ、とか
感じてしまうのだと思う

あしあとあしあとあしあと

周りの人もきをつかっているよね
どうこえをかけるか、どうすればいいか

みなさんなら、どうしますか?

私はおせっかいで、心配症
ついつい手を出して、患者さんに叱られた
患者さんを落ち込ませた

たとえば
オーバーテーブルの少し遠くに置いてある飲み物を
近くにと思って、近づけたとき
「わたし、うごけないけど、それくらいはできるよ。できることはするからとりあげないで」
と悲しませてしまった

少しだけふらふらしていた患者さんに
車椅子をすすめてしまったりして
「ゆっくりあるくから大丈夫だよ」

いまはこう思えるようにすこしなった

「何かお手伝いしましょうか?」
「いつでもお手伝いするから言ってくださいね」

家族のなかでもそうかもしれない

お母さん、無理しないでね
お父さん、いつでもかわるよ

あなたがいてくれることはそれだけで嬉しいと
いうこと

いつかそれが分かり合えるように

お互い様、ありがとう。
これを忘れないことが大事なんだと思う


犬の役割
場の空気をよむ
ひとをなぐさめる
ときにいたずらをする
ときに自由に
もう13年続けてきたよ