生きることは、誰かのために生きて、誰かも自分のために生きていることだとおもいます。
![あしあと](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/098.png)
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ひとりでは、人は生きていけない。
何をするにも誰かの助けがいる。
そして
その役割が果たせなくなった時
喪失感、失望感におおわれる
支えてもらうことは必要で、
支えてあげたい、と思うことも大切
支えられることは嬉しいけれど
今まで自分のなかの支えとなっていたことが
できないと意識したとき
しなくていいよ、言われたとき
だれも思ってないけど
私はもう必要ないんだ、とか
もうすぐ死ぬから大事にされるんだ、とか
感じてしまうのだと思う
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周りの人もきをつかっているよね
どうこえをかけるか、どうすればいいか
みなさんなら、どうしますか?
私はおせっかいで、心配症
ついつい手を出して、患者さんに叱られた
患者さんを落ち込ませた
たとえば
オーバーテーブルの少し遠くに置いてある飲み物を
近くにと思って、近づけたとき
「わたし、うごけないけど、それくらいはできるよ。できることはするからとりあげないで」
と悲しませてしまった
少しだけふらふらしていた患者さんに
車椅子をすすめてしまったりして
「ゆっくりあるくから大丈夫だよ」
いまはこう思えるようにすこしなった
「何かお手伝いしましょうか?」
「いつでもお手伝いするから言ってくださいね」
家族のなかでもそうかもしれない
お母さん、無理しないでね
お父さん、いつでもかわるよ
あなたがいてくれることはそれだけで嬉しいと
いうこと
いつかそれが分かり合えるように
お互い様、ありがとう。
これを忘れないことが大事なんだと思う