さて、食べたいを支えよう

まずは、現在の病状評価を行いました。

何も食べなければ、滅多に吐くことはない
便もちょいちょい出ている

CTも検査しました。
やはり癌性腹膜炎による、多発狭窄、小腸の断続的な
イレウス。でも胃はそんなに、張っていない!

ということは
少しずつだけど、ながれる。
完全なイレウスにはなっていない!少しずつなら…

じゃあ
水分からためしてみよう。
次は重湯、三分粥ときた。
ほんの数口。それでも、久しぶりの
味噌汁の味に感動した、と

おそるおそる五分粥。
ここで、少し吐き気あり
本人はそれでも、少しでも食べられたことに
喜んだ。私達も喜んだ。

七分粥で…

吐いた  
少しずつだったけど、狭窄部につまり
だんだんに口側につもった


あーあ、しまった。
私達がとめるべきだった

患者さんに、今起きていることについて
説明しました。

「大丈夫。こうなると思っていたもの。
こちらこそ、わがまま言ってごめんなさい」
「でも、嬉しかった。私の思いに
答えようとしてくれたこと。
無理無理っていうんじゃなく、食べた後
大丈夫?と看護師さんがきいてくれたこと」
「もう無理は言わないわ。ありがとね、先生」


これが正しいとか正しくないとか
それはどちらでもいいんだ。
患者さんの苦悩、希望に寄り添って
支えようという姿勢

くるしみを支えたい、そばにいるよ、
つらさを話していいよ、希望をもっていいよ

そういう姿勢をもって全力で支える
栄養士さんも、歯科衛生士さんもみんなで

あしあとあしあとあしあと

彼女はその後
むりに食べたいと話されなくなりました。
それからも一緒に考えました

たくあんを、噛んでのみこまずにだす
するめを噛む
かき氷を楽しむ 自分なりに工夫しました

ちょうどお正月をはさみました。
きなこのおはぎを食べたい、と。
もうほぼベッド上での生活でした。

きなこを少しなめて、美味しい、ありがとう


その1週間後。旅立ちました。

ひとの気持ちに寄り添うって簡単なことではない

だからこそ、緩和ケアは奥深い
答えのない問いに、答えをだすことが正解ではなく
考えるプロセスに意味がある


食べることはね、生きることなのよ 
死ぬことは怖くない
でも、当たり前にできるはずのことが
一つ一つうばわれる
これが一番悲しくてつらいのよ

心に残った言葉です。患者さんはほんとに師匠です

あちらであったら、伝えたいなぁ
ありがとうございました、と


 みんなで考える
だから色々考えられる
何気ない一言が
発見を生む