少しずつ春めいてきます。
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ダウンコートはそろそろいらないかな
この季節の上着はまよいますよね
がん患者さんの家族ががんにかかることも
珍しくなく
むしろがんの患者さんが家族にいない方が少ないかも
という時代です
前に「どう死ぬかはどう生きるかだね」とはなされた乳がんの患者さんについて、記したことがあります。
その患者さんのご主人は
妻が乳がんの治療を乳腺外科でうけている際に
大腸癌を消化器内科で診断されていました。
外科で手術し、5年が経過、一時は治癒したかのようでしたが、手術から8年後再発しました。
多発肺転移でした。
妻の看病もあり、なかなか体調変化にきづけなかったそうです。
妻が緩和ケア病棟を入退院している頃
ご主人は、化学療法を受けていました。
介護があるので、外来で。少し体調がすぐれなくても
入院はせずにがんばっていました。
妻が亡くなる前にも化学療法をうけていました
僕はいきないと。あいつをみおくるまでは。
妻も、すぐに来なくていい、少し自分の生活を送ってからきてね、と
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妻とのお別れから半年
いよいよ身体が辛くなりました。
主治医の先生は、緩和ケア病棟ですごすことを
提案しましたが、
妻を看取った経験もあったためか
少し戸惑いがありました。
あと少し生きたい、あと少し、と
少し無理をしての化学療法をつづけました。
ある日、発熱と呼吸困難で、救急外来を受診されました。
肺転移、癌性リンパ管症、胸水…
いよいよ化学療法は厳しくなり
緩和医療主体となりました
救急外来に伺ったとき
「妻はもう向こうにいくことを許してくれますかね?あと7年は生きて。私の歳までは生きるのよ、と言われていたのに。頑張れなかった」
姉さん女房でした。
自分の歳までは、と。
心の中で思いました。
「十分よ、って言っていると思います。自分のことより妻のこと、よく過ごされました」
緩和ケア病棟について手配をはじめました。
がんがありながら、がん患者の妻をみる
つよい心、夫婦のつよい絆だと感じました。
続きます