肺がんの男性は主治医に勧められ、治ることに期待をして、化学療法を再開しました。

はじめてすぐ、重症の粘膜炎をおこしました。
食べること飲むことどころか、唾液を飲み込むことも難しくなりました。


「つらいよ、つらい。こんなこときいてない。
抗がん剤やらないと死んでしまうと思って、頑張ったのに。こんなふうになるってきいてないよ」
「先生、効果があるっていったから、やることにしたのに」
「少しでもわるくなる可能性があるなら、最初に聞きたかったよ」

症状が回復するまで入院を余儀なくされました。

年末に、1日くらいは帰りたい、と退院してみましたが、1日で救急外来を受診。
家では、何ものめず、何も食べられずだったそうです。

また、点滴の日々が続きました。

病気は悪くなっていましたが、体調は比較的落ち着いていました。ほぼベッドですごされましたが、時には車椅子で散歩も可能でした。
このまま回復すれば、退院を、と話していた矢先、もう一度抗がん剤を、という話になりました。
やめようか、とはなされていましたが、やはり
抗がん剤をしなければ、亡くなる、といわれ
抗がん剤をうけました。
一番心配していたこと、強い粘膜炎、骨髄抑制。


そのまま、亡くなりました。
抗がん剤をうけて、2週間しかたっていない。

たら、ればです。

でももしこの治療をうけていなかったら
最後の時がやってくるのはさけられなくても
もう少し、つらくなくすごせたのではないか。

もし、やらない選択をすすめれば
こんなことには、ならなかったのではないか

家族は悲しみにつつまれました。
長男が、しばらくして、緩和ケア外来をたずねてきてくださいました。

「父は実験台です。症例の一つだったんでしょう。
そうではないって思いたいけど、父がそう言っていました。無念です」
「最期は緩和ケア病棟にいきたい、穏やかに逝きたいといわれていたのに、かなえてやれなかった(涙)」
「怨みたくないうらみたくないけれど、悔しい」

わたしも悔しいと感じたくらいです。

つい、治してあげられなくてごめんね、と
つぶやいてしまいました。

治療すれば、生きられる、どころか命を縮める

私は化学療法も支持します
でも
体調とのバランスを考え、患者さんを苦しめないようにすることも、医師の責務とおもいます
私は、やってもやらなくてもなおらないから
化学療法をとことん行う、という考え方には
どうしてもついていけないのです。

医療者の方、患者さんの病気だけをみないでください
患者さん、医療者のいいなりにならなくていい
自分の生活も大事にしてください