さて、「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と言われたのは書いたけど、これは毒親が言う言葉のなかで割とメジャーなセリフの模様。いわゆるテンプレってやつに相当するのかな。グーグル先生に「誰のおかげで」と打つだけで「検索の候補」が出てくる。言われた人、ではなく検索している人。
ここで私は考えたい。親の責務とは。
親が子供に対し果たさなければならない責任とはなんだろうか?
私は端的に「独立して生活していけるようにすること」ではないかと思う。
色々な考え方はあるかもしれないけど、私はそう思う。
独立した後も食べていける、という事は食べていく術を身につけなければならない。
親が最も重視しなければならないことはこれでじゃないのかな?
生きていくために、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える。
授人以魚 不如授人以漁
という事。金の卵を産む鳥も似たような話かな。いずれも「時間軸」が存在する。
やっぱり昔にも賢い人が居て、その知恵は受け継がれている。
折角先人が教えてくれている知恵があるのに、なぜそれを受け入れられないのか。
「頭でわかっていても、実行できるかどうかは別」という、最大の壁がある。他人から見ると「自分の事を棚に上げて」と言われるやつ。
そもそも、知らないのは論外として。
さて、振出にもどって、「誰のおかげで飯が」を考える。
自分が親として、果たすべき責任は子供に対し、「安全に暮らせる環境を提供し(衣食住)」「独立しても困らないような術を身に着けさせる」とした場合、どこで「誰のおかげで飯が」のせりふが出てくるのか。なぜ出てくるのか。
恐らく子供の事が気に食わない。子供が自分の期待に応えない。価値を返さない。与えている食料ほどの利益を返さない、と言った事か?これを成り立たせようとすると「子供=自分の思い道理に動くもの」とか、そんな意識?
Lim->∞ で考えると「子供=家畜」あたりに落ち着きそう。
そう、所有物で、自分が好きにしていい対象。そして、価値がなければ何をやってもいい存在。この感覚で上司部下だとパワハラの対象かな。
自分はそういう事を行わないように、
「相手は人間であって、自分の思い通りにしてよい対象ではない」という事を常に誰に対しても持ち続ける必要がある。部下だろうか、子供だろうが、一人の人間で自分の思い通りにしてよいものではない。