オレ、奥さんに洋服とか靴とか鞄とかを買ってあげるのが趣味なんだけどさ、、、

(本人はオレと違って育ちが良いから高価なものは要らないというタイプ
小さい頃から満たされてるから渇望感とか無いだろうし、
何でも手に入れられるから、逆に物欲もないんだと思うんだけどね)

でも、綺麗にしてもらってる方がレストランとかベストな席に案内してもらえるし、
あと子供みたいに嬉しそうにしているのもなんだか良いものなので、
自分の身の丈に合ったものを毎月色々と買い物にいく感じ。


特に東洋人は若く見えるし、海外に連れて行くとちびっ子だし驚くひとが多い。
イメージは、オレはバカボンのパパで、奥さんは綺麗で賢いバカボンのママ、そんな感じな。
見た目オレは赤塚不二夫さんで、奥さんは今でいうと貴島明日香さんみたいな感じかなぁ。







で、、、本題は別なんだけどさ、、、


今回は、フグ割烹に行ってひれ酒でも2人で飲もうと思って
平日夕方からブラブラしていたのね。
なんで銀座なのかというと、この頃、気に入って常につける様になった
愛用している時計の金属ブレスレットを昨夜に損傷させてしまったため、
正規代理店に修理の見積もりをお願いするためだったのよね。
(アホ過ぎで恥ずかしいので詳しくは後ほど)


で、大変高額な修理(プライウスと同額位?)になる事が
判明して、オレだけションボリ、フグの気分じゃ無くなって
もう地下鉄に乗って帰ろうと思っていたところにね。


とり銀本店を発見。


懐かしい。。。
ちょっとした路地に入って地下に行くのを子供の頃に覚えていたんだよね。
いや地下ではなく、一階でテーブルももっと小さくて
椅子に詰めて座る感じだったっけ。













小学生の頃に、初めて銀座の『とり銀本店』に行って

『塩』の鶏皮焼きを食べて感動したんだよね。



あと釜飯は高価な五目じゃなくて、オレは『トリ釜飯』ね。

これ!これは遠い昔に食べた記憶がある。

小さい頃のオレは、メニューで一番安いのをみて

『これなら頼んでも良いかなぁ』って

トリ釜飯をあえて選んだのをすっごく覚えてるんだ。

きっと小学2年生ながらに遠慮していたんだろうね。



当時、我家は貧乏だったのか、外食なんてした覚えがなかったんだ。

レッスンの後でヴァイオリンの先生に連れられて小学生2年生ごろに

食べに行ったのが銀座のとり銀の本店だったの。



先生の弟子が母親だから、オレは孫弟子みたいなモノなのかな?

親子二世代で習っているから、おばあちゃんなんだけど、

メチャ厳しいので、オレはいつも泣いていた。

他のお弟子さんは音大からプロのヴァイオリニストになったりしてるから、

やっぱり気合いが足りないと思っていたんだろうね。

でも、今考えると一番可愛がってもらっていたのかもしれない。







そんなとり銀、、、

40年ぶりに食べたんだけどさ、、、



今食べても、素朴な味わいで美味しいし、

なんと言っても、あの時の味と同じなんだよね。

凄いよね。変わらないって。

飲食業で継続するの、、大変だろうし。



今って、バードランド(?)とかが流行ってから普及した

とにかく上品な焼き鳥しか食べて無かったから、

昔ながらの焼き鳥が妙に美味くて。。。

(クリスタルとかクリュッグとかと食べる様な

そんなスカした焼き鳥は、この際、無視な。)



独立する前の職場の近くにお上品焼き鳥の元祖みたいなお店があったの。

十四代が有名になる前から(13代目社長と)直取引がある店で

そこで好きなだけ夫婦で愛山、双虹、龍月を一合800円〜1200円ほどで

永遠に飲み続け、上品な焼き鳥を食べて、

焼き鳥と言えば、お上品な焼き鳥がデフォになってたんだよね。

 


すっかり、この地に足のついた『the 焼き鳥』を忘れてた。



初めは、懐かしいなぁ程度だったんだけどさ。

とり皮の塩を食べた時に、香りと歯応えで『これだ!』って

すっかり忘れていた小学生の頃の出来事を思い出したの。



『大人になったら銀座でこういう、とり皮の塩焼きを

いつでも好きなだけ食べられる様になりたい。

本当は遠慮しないで、もっとたくさん食べたいなぁ、、、』

と本気で思っていたのよね。(←アホ)



ああ、オレ焼き鳥を食べてる。それも好きなだけ。

今夜は、お腹いっぱいまで贅沢して食べちゃおう!



なんだか幸せな気分になって、気持ちよく時計修理することにしました。


  






こういう時うちの奥さんは、前向きなの。

(塩のとり皮を食べながらの夫婦の会話)


バカボンママ


『jirokkoちゃん、転んで時計が壊れただけで良かったじゃない!

だって、転んだために入院して手術とかになったら、

すっごく痛いわよ〜。痛〜い注射、嫌でしょう?』(←そこか?)


バカボンパパ


『でも、、、なのだ。

千切れたベルトは2コマだけなのだ。

場所が悪いと言っても交換修理だけで300万円近くかかるなんて、、、

一般市民にとっては、マヂであり得ないのだ』


バカボンママ


『でも、jirokkoちゃんの腕が折れたりしたら、大変。

ベルトなんて何日か働いたらすぐにペイするんだから大丈夫。

それに、ロレックス正規代理店で現行プラチナデイデイトのベルトを

千切っていきなり高額修理するなんて、

正にjirokkoちゃん以外にはなし得ない偉業よね!

まぁ修理の難しいプラチナモデルでは世界初で、誰も追いつけないわ。

そこらの金無垢とかを金庫にしまってるだけのヒトとは

すでに次元が違う大物ぶりよね』


バカボンパパ


『そうかなぁ?そんな偉業?』


バカボンママ


『ブラピとかシュワちゃんに並ぶ偉業(?)だと思うわ。

第一、どういう風にあんなに硬いプラチナブレスが千切れるか

全世界のヒト知らないわよ。怪我も全くないしね。

それに、今日は安くて美味しい焼き鳥も食べられたし

ホントに運が良かったのよ』


バカボンパパ


『なんか、そんな気がしてきたのだ。そうなのだ。

正規代理店でプレミア無しで定価で買わせてもらっているし、

まぁ、フェラーリ本国まで行ってスペチアーレが定価で納車されて、

その帰りに事故ってしまうのと同じなのだ(?)

元気が一番だし、仕事も出来るし、従業員も困らないし、

よく考えたら全てのモノごとは自分の考え方しだいなのだ』


↑↑↑

???アホ


美味しく焼き鳥を食べて帰りました。



我が家は大変な事に遭遇しても、こんな感じで

アホを武器に乗り切るタイプです。



オレ、思うんだけどさ、

経営者のオトコは、奥さん次第で凄く人生変わると思う。

こういう時に『えー、今日はあのバッグが欲しかったのになぁ』

とか不機嫌になってしまう家庭はダメだな。

そういう奥さんはピンチの時に支えて乗り切らせる事が出来ないんじゃないか?

だって商売は世の中の波に翻弄されない訳ないし、下積みもあるだろうし

第一、儲かってる『良い時代』ばかりじゃないだろ?



あとね、オトコはアホな位で良いな(ホントか?)

頭の中の遺伝は女親由来だと聞くし。



そんな感じで楽しく焼き鳥をいただきました。


とり銀本店に行って、贅沢に焼き鳥をお腹いっぱい食べるオレ

小学2年生のオレを見たら、どう思うんだろうな。



(おっ、汚ねぇボウズが美味そうに食ってるなぁ

いつも美味しいモノ食っていないんだろうなぁ)


『おう、ボウズ、コレ美味いぞ。食べてみるか?』


そんな感じなんだろうね。




ご馳走様でございます!














追記します。


幸せの定義って、ヒトそれぞれなんだろうけどさ。

実は、家族で美味しくご飯食べたり、懐かしく幼少の頃を思い出したり

励ましてもらって難局を乗り切ったり、ピンチを知恵を使って回避したり

それらを後から懐かしい気持ちで思い返すような

何気ない毎日に存在する様な気がするのよね。

だから、決して高価な時計を見せびらかす事ではないんだ。

壊すくらいだから普段から何も気にせず遠慮なく使ってるし、

ロレックスは実用時計であってパテックやオーデマとは違うと思ってるし。



変な言い方に聞こえるかもしれないけどさ。

何気ない毎日の中に、普通に暮らせる幸せを

感じ取れるかどうかが大切であって、

妬みとか嫉みとか、そういうモノを抜きに付き合える

そんな間柄にこそ、大切なものが存在する気がする。



なんかさ、こういう高級品と世間で言われるモノを

アップすると、高級品を持ってて転んで、自業自得とか

そういう風に捉えるヒトっているじゃん。

あと残念なんだけど、クルマとかも高価なのを自慢してるとか

そういう視点の捉え方、受け止め方ってあるよね。



でも、世の中を見渡すと、もっとすごい高級品を

持ってる人、たくさんいるんだ。

でも、別にオレは妬ましいとか羨ましいとは思わない。

その人が本当に満足しているのであれば、素敵なことだから。

オレにとっては、素直な気持ちを持ち、心が健康でいることの方がずっと大切だし、

そのクルマなり時計が好きで、そのヒトが心から幸せになるのであれば

それはとても素敵な事だと思うからなんだ。



実際に世界的に希少な高級車を持っているお友達出来たんだよね。

確かに価格はすごいけど、このクルマを手に入れるまでの

プロセスに大きな意味があるから、別に手放しても

そのお友達の価値が無くなるわけではないんだよね。



いわゆる高級車の世界は、降りちゃうヒトも多いからね。



経済的に維持していく事が難しいほど、資金面で

チカラがないと続けられない趣味とも言えるし、

一方で、逆に『売り時』ってのもあるよね。

高騰している時を読み切って、監禁、、、いや換金して

利益を確定する事もあるからね。




でも、その人が持っているクルマが高価だから

その人が素晴らしい訳でもないし、別に手放したから

お友達で無くなる訳じゃないはず。

何も変わるところは無いんだ。




そりゃ、小さい頃から憧れたクルマだから、手元に

置いておけるのは嬉しい事だけど、実はその『情熱を

維持しているメンタリティ』にこそ価値があるんだよね。



『あー、クルマ?

お前も若いなぁ、まだ興味あって乗ってるの?

えー! お前! コレ1億円以上するの?

くだらないよねぇ、オレもフェラーリ乗ったけど、

今はもう飽きたから売却したんだよね。

いや、やっぱ今は不動産だろ。

港区に10個目買ったんだけど、もうスゲー上がる。

もう、総資産⚪︎⚪︎億円だぜー!

あっ、でも仮想通貨は売る時に税⚪︎署怖いからダメな。

でも、クルマにねぇ、、、

ところでさ、⚪︎億円のコレ、動くの?』



そんな風に思うヒトもいるだろうしさ。



それはそれで、考え方の一つだと思う。



全ては小学生の頃の純粋な気持ちがあるかどうか、

『心の中のフェラーリ』が大切であって、

価格は二次的なものだったりしないか?



こういう考え方、うちの奥さんが長年かけて教えてくれた

そんな印象を持っているのね。



やっぱり、オトコは奥さん次第で人生が変わると思うんだよね。






『jirokkoちゃん、修理代金を頑張って稼いできてね。

これで思い出深い“世界で一つの時計”になるわね。』





『うん! ワシに任せろなのだ!

ヒトの幸せとは、その人の心の中にあるモノなのだ。

だから、お金では計り知れないものなのだ。』


『じゃあ、心の中を必死に探せばみつかるのか?

死ぬまで見つけられないヒトも多いのだ。なぜなのだ?

それは自分のためだけに探しても見つからないのだ。』


『自分以上に大切な存在が出来て、自分の人生、生き様が

自分のためだけではなくなった時に、初めて見つかるのだ。

見えていても気付かなければ無いのと同じなのだ。』


おしまい