僕に給与明細をみせられて、

他の人達が陥る罠をなんとか回避して段階的に目標を達成していき、

仕事が出来るところまで回復し、更に言葉を続ける。

 

ほたされるような形でその人は圧巻の反応をしていた。

 

 

 

「通信制大学に入学するのが目標です」といった。

 

ウケは非常にいい様に思える、賛辞もあった。

 

でも相手は、特に殊、福祉に関わる方は凄くドラスティックで

「傾聴」といって大事な収入項目をチェックする際に

 

自分の話に分かり易く反応する事が必須とされる中で、あまり面白くないのだろう。

 

心の中では全く逆の心理展開をしているだろう、上っ面だけでも、喜んでくれるが

その人が時間ピッタリに帰ると、

 

「俺、何してるんだろ、何話してるんだろ、働いてるだけでも一杯一杯なのに

更に将来の展望なんて意気揚々と話してほんと虚しいわ」となってしまう。

 

全部筒抜けなんです、ルーズルーズ。

 

こういう機関の人達に対処出来る唯一の勝利法は

 

秘密主義を貫く事だ。

 

適当に喜ばせたくて、隠し玉として

 

「通信制大学に入学する」という展望を話すから、

 

変な期待やプレッシャーを感じるのだ。

 

生きている事だけでも素晴らしいのに。。

 

自分が発する言葉が

想像以上に重くてとっさの機転が更に無理目に追いやってくる。

 

 

毎日の感情労働で特に疲れている福祉の人が、

 

大賛辞をおくるって事が、そもそもイメージ出来ないです。

 

オフレコは絶対入ってこないが、僅か30分でやつれたその方の表情を見ていると

ずっと足踏み状態で、

苦しい苦しいというクライアントは沢山いるので攻略法を編み出しやすいが

僕の話はちょっとだけ難しい。

 

喜びに似た表情をしていたが、

結局平均ベースでモノを考える人達は僕の成長に対して、

素直に喜べず異端扱いしていると感じる。

 

一週間後、体調が悪くなったといって、

 

その人が僕の事を「頑張っているんだから大丈夫ですよ」

 

といったとしよう。

 

元のムジナに戻ってしまい、無理が祟り、入院するかもしれない。

 

そうだ未来は誰にも分からない。

 

大惨事は何時やってくるか分からない。

 

楽しい昔話が沢山持っている高齢者は

 

勝利を噛み締めながら生きている。不幸な今を超える事が出来るのは

自分の話を聴きたがる人が一堂に会する瞬間だと思う。

 

アカデミー賞に主演男優賞にノミネートされて、

 

アカデミー賞に選ばれた瞬間、突飛な生き方を止めない俳優達は最高の果実と

語り尽くせぬ思いと躍動、歓喜の瞬間を、後世へ伝えていくだろう。

 

でも、僕はこう思うんだ。

 

生きているだけでも素晴らしい。