2016年の台風被害で一部不通が続いていた根室本線の富良野-新得間が、この3月末を持って廃止となる。

 

JR全体では3月16日に既にダイヤ改正が実施された。北陸新幹線敦賀延伸が大きく報道される中、根室本線の一部廃止に関心を持つ人は、地元住民や熱心な鉄道ファン以外には、どれくらいいたのだろう。

 

20年ほど前の夏のことである。新得から幾寅まで家族で根室線に乗った。サホロにあるリゾートホテルに滞在中に、数年前に公開された映画、鉄道員(ぽっぽや)のロケ地を見に行ったのである。新得駅にレンタカーを停め、上りの単行ディーゼルカーの最前部に4歳だった息子と陣取った。ビデオカメラで前面展望を録画しながら、北海道の夏の鮮やかな緑と、その中に右に左にカーブする線路が印象的だったことを覚えている。

 

娘は、いくつもの病気を抱えて生まれてきた。1歳になる前に大きな手術をし、その後も何回も入院して治療を受けた。僕も妻も明日が見えない不安の中を日々を過ごしていたが、手術が功を奏し、やがて娘は、見違えるように元気になっていった。

 

そろそろ旅行にも行けそうだと思ったのだろう。ある日妻が、リゾートホテルのパンフレットを見つけ、ねえ次の夏にここに行かない?と言った。サホロにあるクラブメッドだった。仕事でも多忙が続いていて体調を崩していた僕は、会社を暫く休むことにし、それが北海道のどこにあるのかもよくわからないまま、往復交通付のパッケージツアーに申し込んだ。

帯広空港からチャーターされたバスに乗った。娘は元気になっていたものの、手術からはまだ10か月しか経っていなかった。バスの中でミルクを吐いた。汚れた座席を懸命に拭った。臭いで他の乗客には迷惑だったに違いないが、当時の僕らには気にする余裕もなかった。ただ一緒に旅行できることだけで、幸せだった。

 

初めての家族4人の旅行は、本当に楽しかった。だから、翌年の夏もまたサホロを訪れることにした。

幾寅を訪れるために列車に乗ったのは、この2回目のサホロ旅行の時である。

 

息子は言葉を話すより前から機関車トーマスが好きだった。トーマスのプラレールで遊ぶのが好きで、2歳になってからはビッグトーマスというおもちゃが欲しいと言い出した。おもちゃの電話機を耳にあて、窓のほうを向いて田舎のじいちゃんばあちゃんにビッグトーマスを買ってね、とねだる姿が可愛かった。

 

娘の手術の時に親類の家に2週間ほど預かってもらった。嫌がる風ではなかったが、本当は無性に寂しく、心に傷を負ったに違いなかった。両親が上京した時に迎えに行って、一泊だけ一緒に過ごした。お台場のトイザらスでじいちゃんにビッグトーマスを買ってもらうようしたが、口数も少なく、あれほど欲しかったおもちゃへの興味も、あまり示さなかった。

 

機関車トーマスから本物の鉄道に興味を示しだしたのがいつ頃だったのか、よくわからない。小学校の頃には時刻表を読みこなし、そして僕と一緒に全国を旅するようになった。この時の根室本線の記憶を、たぶん彼は持っていない。でも、僕にとっては、今なお鮮やかな、その背景を含めての、宝物のような思い出である。

 

根室線の廃止が決定された後、僕は新得からの代行バスに乗った。もう列車は来ない幾寅駅にもバスは立ち寄った。20年前にレンタカーで通った風景のいくつかをなぞりながら、東鹿越駅に着いた。多くの鉄道ファンで、東鹿越からの列車も満員だった。金山駅近くの踏切も覚えていた。それから平坦な土地を列車は意外なほど軽快に飛ばした。ドラマ北の国が始まった布部駅、黒板五郎親子と同じように、息子と娘と3人で写真を撮ったことを思い出した。

 

息子は息子で、アルバイトで貯めた資金を使って、今では一人で全国を旅してまわっている。東鹿越までの根室線も、そこからの代行バスも少し前に訪れたと言っていた。彼にとって初めての風景、どのように映っただろう。

 

普段の生活とは関係ない、遠い土地のローカル線の廃止だけど、思い出がごちゃまぜになって、あふれてくる。

 

娘は昨年の4月に就職し、家を出た。

コロナ禍をきっかけに道に見失った息子は、辛い数年を過ごしたが、自分の力でそれを取り戻し、力強く歩みだしている。

 

ぽっぽやの舞台は、3/31で永久に列車が来なくなる。

息子は家を出て、その翌日から日本の西でぽっぽやとして働くことになった。