昨晩鹿児島中央に到着したのは20時21分であった。都城ではずっと歩いていたので夕食は取っていない。鹿児島中央駅の中の飲食店はほぼ閉まっているようだった。外に出てしばらく歩く。駅ビルの先に立派な海鮮料理屋があったが胃腸の調子が良くなく、軽めの食事がいいのでスルーする。結局市電に乗って天文館近くのホテルに向かうことにした。あいかわらず冷たい小雨がしとしとと降っている。

チェックイン後、フロントで教えてもらったわっぱ飯と貝汁が名物の店に入った。天文館で夜遅くまで営業しているが、酒ではなく食事をメインとした店であった。大盛の貝汁はずっと調子がすぐれない胃腸にもやさしい味であった。

 

12月22日

鹿児島中央10:02発 枕崎12:56着

 

本日1本目は長丁場、3時間近くの乗車である。ホームに降りると既に長い列車待ちの列ができていた。先日の佐世保、松浦鉄道もそうであったが、ローカル線でも地方中核都市近郊では学生を中心に十分な旅客需要がある。時刻表を見ても毎時3本程度の列車が設定されている。列車が入線し長い列が吸い込まれていったが、当然のことながら錦江湾を望む進行方向左側のボックスシートの確保は望むべくもなく、反対側のロングシートに陣取った。列車が発車した。車内は立客がいる状況である。

 

左手に鹿児島車両センターが見えてきた。かつては485系や787系特急型電車、東京や大阪を結ぶ24系客車が配置されていた。現在ではキハ40系など普通列車用気動車、電車の姿を望むのみである。

 

郡元、南鹿児島、宇宿。列車はこまめに停車していく。車内は混雑したままである。窓の外には市街地が続いている。

市電の終着駅谷山付近から線路は高架区間となる。JR谷山はまだ新しい高架駅であった。しばらく高架が続く。2両の古い気動車、架線が張られていない単線の高架線、今どきのモダンな高架駅、なんだか違和感十分のコントラストであった。

 

街並みの向こう側にようやく海が見えてくる。知覧に向かうバスへの乗換駅である平川を過ぎると、途中の喜入の巨大備蓄基地を挟み、車窓にはずっと間近に錦江湾を望むことができる。あいにく雲が低く立ち込める日であったが、再度訪れるとしたらやはり夏であろう。対岸の大隅半島の深い緑と抜けるような南国の青空。容易に思い浮かべることができる。

 

喜入で多くの人が下車し、車内は空席が目立ってきた。車窓左前方に岬と島が見え、列車は一旦内陸に入る。建物が増えてくる。やがて指宿に到着。

 

 

更に多くの乗客が下車する。車内には数人の乗客が残っている。多分終着駅まで乗りとおすであろう、同好の士と思えるおじさんも数名。まだあと1時間30分あまり、ずいぶん遠くまで来たと感じても、まだ半分の行程である。

 

次は多くの列車が折り返す山川。山川港を望む場所に駅がある。日本最南端の有人駅である。

列車な内陸に入る。左手、田畑が広がる先に白い煙を吐き出す煙突と大きな建物。火力発電所だという。たまて箱温泉はその先あたりだろうか。開聞岳と海を臨む解放感あふれる露天風呂をテレビで見て、いつか行きたいリストに入れてある。男湯と女湯が奇数日と偶数日で入れ替わる。今日は偶数日で開聞岳側が男湯だったが、残念ながら木曜は休館日であった。そもそもレンタカーがないとかなり難易度が高い目的地である。

 

左手前方に開聞岳が見えてくる。頂上付近は雲に覆われている。列車はJR最南端西大山駅に到着する。

 

 

 

3分ほど停車。鉄道ファンらしい若者がビデオカメラを回しながら下車していった。

 

旅程上下車することはできなかったが、これで東西南北のうち3つを訪れたことになる。根室、東根室は寒さがもう少し緩んだら、今年中に訪れるつもりである。ちなみに最北端稚内に降り立ったのは、15歳の時、九州からの一人旅であった。

 

 

開聞岳の麓を掠めて、ゆっくりと列車は走る。車窓には田畑が広がっているが、ところどころに残る荒地が最果て感を演出する。

 

 

線路は街中に入り、やがてホームが一つだけの簡素な駅にゆっくりと停車する。まだ寒さ厳しい早春の稚内駅を訪れてから40年が過ぎていた。