ももクロ~布袋さんのブログにたどり着いた。
お母様が亡くなられるまでの様子とともに推移していく心情が、率直につづられていた。
自分も、母が倒れてから二年、
男ばかりの家族が、突然母という光を失い、あまりにもろく、そして、
ほとんど、崩壊寸前になって、
結果的には、病床の母と会うことも話すこともままならなくなってしまったのだけど、
生まれてから、ずっと、母親っ子だったのに、
こうして、長い間、母との交流を立っていると、
もしかしたら、自分は、とてつもなく冷たい人間じゃないかと、
思ったりもしている。
そんな中、布袋さんのブログを読んで、
あまりに、リアル過ぎて、そして、自分もまた、
詐欺師のように、親の期待を裏切って、絵描きなどと名乗って、
つかみようのない夢などを追って、
ももクロを観ながら、素直に涙を流すのに、
どうしても、布袋さんのブログから、
胸が熱くなっても、涙を流すことができなかった。
母が倒れた時、
あの、震災が起きて、茨城の実家も、
多少被災して、その心労が、きっかけだったのかもしれない。
そのあと、暑い夏のさなかに、
中目黒まで、わざわざ、ぼくの絵を見に来てくれて、
その時点で、久しぶりに母と会ったのだけど、
あまりの、老いぶりに、ぼくは狼狽したのだった。
自転車でさっそうと買い物に出かけていた母が、
つえをついてよぼよぼのおばあさんみたいになっていた。
すべての罪を、もはや、絵で償わざるを得なくなっていたぼくには、
一番に母に観に来てほしい思いと、弱りつつある体で、
来てほしくないという、交錯した思いに駆られていて、
この時は、正直、来てくれとは、言えなかったけれど、
上野駅で母を見送った時、
笑顔で別れることができて、
素直によかったと思った。
でも、母が倒れたのは、その矢先だった。
いま、母が、布袋さんの時のような状態に陥ったら、
自分は、あのブログのように、心情を書けるだろうか、
たぶん、書けない。
まぎれもない、成功者である布袋さんが書くような心情はつづれないだろうな。
だから、いま、絵を描き続けなければ、ならないんだよ。
写真の絵は、〝ガンジス河の朝日〟油彩 四号 2011