[長谷川等伯:松竹図]
ももクロのチーフマネージャー川上さんが、ももクロの本当の妹分作りに着手するらしい。
一体どういう風になるのか、はっきりしたことは定かではないが、
2chやまとめサイトの〝モノノフ〟たちのカキコを読んでみると、
かなり否定派が多い。
まぁ、否定派というよりは現状維持派というべきか。
気持ちは分からなくもないが、ももクロは一代限りで終わるとしても、
スタダ芸能三部のダスト組?から場当たり的に生まれて、鍛え上げられ、
さまざまな困難に打ち勝って得たももクロの経験を、
スタダ風アイドル作りのノウハウにまとめて、システム化し、
と、同時に将来の立場曖昧な〝アイドル部門〟の子たちを、もっと特化した組織の中で
育てていきたいという、マネージャーサイドの思惑は、わからぬでもない。
まぁ、芸能事務所といっても会社だから、こちらサイドでは分からない、
もっとドロドロした動きのなかで起きた、一つの衝動的な出来事でもあるのかもしれないが。
そんな情報に触れて、なんとなく思ったのが、
(そう、ここは基本、絵について語るブログなのだ)
安土桃山時代を代表する稀代の絵師、長谷川等伯だ。
そして、その息子久蔵との成り上がりぶりを、現在のアイドル戦国時代での、ももクロの成り上がりぶりと
つい重ねてしまった。
多少ばかばかしい例えではあるが、どんな時代も、どんな組織でも、どんな立場でも、
大きな舞台でも、小さな舞台でも、人間が作り上げている世界なのだから、どこかで重なる部分を見出してしまうものだ。
たぶん、潜在的に、どの〝モノノフ〟も、それぞれの思い入れや経験によって、
例えるものが違えど、どこかで見たことあるような物語性を感じているはずだ。
で、長谷川等伯は、当時日本の画壇で、付け入るすきのないほどの最盛期を迎えていた、
当代きっての絵師、狩野永徳率いる狩野一派と競い合い、
斬新な画風とすぐれた技法で、秀吉や千利休らの寵愛を受けつつ、一時は凌ごうかというほどの勢いを見せたのだが、
結局、期待された息子久蔵の早世や、利休や秀吉の死によって、天下を奪うチャンスを逃し、
等伯の死後、その一派は急速に画壇での影響力を失ってからは、
徳川家康と幕府によって、狩野派が引き続き御用絵師としてのお墨付きを与えられて、以後の絶対的地位を安泰としたわけだ。
弱者である異端者が、その才能と機智によって、周辺の人々や権力者を魅了しつつ、
その世界の絶対的強者に立ち向かっていくストーリは、世界中のだれもが好む話だけども、
突き抜ける一歩手前で、その野望が潰えてしまうみたいな話は、〝判官びいき〟好きな日本人なら、嫌いなはずはないだろう。
たぶん、〝モノノフ〟の心の中には、
一代限りの、はかない、刹那の英雄みたいなものを、
ももクロに投影しながら応援している人も少なくないのかもね。
と、同時に、少女時代の一瞬のはかなさみたいなものを、
〝代表してw〟あーりんのぷにっぷにのほっぺに、感じているのかもしれない。
もとい、結局、等伯は、狩野派に対抗できるほどの組織を構築できなかったわけで、
そう考えると、藤下さんや川上さんが、ももクロのさまざま経験の上に築き上げたものを、
なりふりかまわず形として残したいと考えるのは、当然のことなのだろう。
そこは、組織の人間だからね。
でも、それが成功するかどうかは、誰にもわからないね。