本澤二郎の「日本の風景」(5205)

<沖縄の幼子証言「日本兵は悪魔」=被害者は朝鮮人・中国人だけではなかった!=あなたは岸田派かナベツネ派?>

沖縄の慰霊の日に時事通信記者が生存者の怒りの証言を活字にした。「日本兵は悪魔」は、心底からの怒りの告発である。今を生きる日本人の大半が知らない。歴史を知らない人間は、今も将来も盲目である。永田町や霞が関の住人にもいえる。歴史を繰り返そうとする自民党・公明党・維新は、沖縄に立って日本の将来を考えて行動しなければならない。そうでないところに、現在とこれからの日本の危機が存在する!国民のための政治に立ち返れ、である。

 

<1995年8月の南京・盧溝橋の旅での86歳老人の衝撃告白>

戦後50年の1995年夏に日中友好の「平和の旅」を計画した。朝日新聞千葉支局の記者が千葉版に大きく報じてくれた。おかげで50人が手を上げてくれた。父親が中国大陸に赤紙一枚で引きずりだされ、最期は硫黄島に向かう途中、米軍機の攻撃で、船もろとも海の藻屑となった戦争遺児も、娘と政党機関紙記者や親類の精神病院看護婦長にも声をかけてくれた。

農協職員・小坂善太郎秘書・大学教授や医師、中学・高校教師ら。亀田病院事務長夫妻のほか、86歳の老人の手を引いて参加した鴨川方面からの町会議員など総勢50人。今思うと見事な平和行脚となった。「歴史を知ろう」とする真っ当な集団を率いての、素晴らしい歴史の旅だった。

 

団長として気がかりだったことは、86歳の老人の健康だった。たとえ息子の町議がそばについてくれていたとしても、両手を合わせ、旅の無事を祈るばかりだった。上海から南京へ向かう列車に乗った。幸い50人全員の座席を確保できた。安堵して86歳の老人と初めて向き合った。そこで南京大虐殺を生き抜いた日本兵の衝撃的な証言を目の前で聞かされた。

 

老人は元タクシー運転手として戦場に引きずり出された。軍属として指揮官の運転手となった。すでに日本軍が南京を占領して3か月。その日、指揮官を乗せて市内巡視の途中、女性のすさまじい悲鳴が聞こえてきた。車には運転手のほか通訳の朝鮮人もいた。

現場である住宅の居間では3人の日本兵(天皇の軍隊)が、女性のそこに銃剣を差し込んで、部屋中に鮮血が飛び散っていた。人殺しの男の悪魔人間が、か弱い女を強姦し、さらにそこに天皇の軍刀を差し込んで、これ見よがしに人間をトサツしている、その地獄を楽しんでいる日本兵は、まさに悪魔そのものだった。

 

ヒロヒトの軍隊に軍紀などなかった。指揮官は止めるどころか、カメラを取り出してシャッターを切って、一緒に楽しんでいる!戦争は悪魔・悪魔である。悪魔に魅入られた日本兵にいたぶられる女性の叫びは、この世のものではなかった。軍属の運転手は「何を言っているか」と通訳に尋ねた。「早く殺せ」「早く殺せ」という悲痛な叫び声だった。これが正真正銘の悪魔・天皇の軍隊の正体である。南京市内を流れる大河・揚子江では、無数の中国人を日本兵が銃弾で撃ち殺していた。人間の血で赤く染まる大河での大虐殺が、3か月後も続いていたのである。この様子を石原慎太郎に聞かせてやりたかった。

 

<ナベツネの先輩・読売政治部長・多田実の証言>

読売新聞政治部記者は、多田実を知っているが、彼が硫黄島戦線の生き残りの学徒だと知っているのは、彼の政治部後輩だった渡辺恒雄かその側近の茶坊主くらいに違いない。多田は見識のある最後の読売新聞のジャーナリストだった。

筆者の「小選挙区制は腐敗を生む」(エール出版)を高く評価したものだ。河野洋平や小沢一郎と違った。安倍・清和会の裏金事件ひとつみても、その問題のすごさ・恐ろしさを現在は理解できるだろう。多田が、児玉誉士夫や中曽根康弘との権力闘争に勝っていれば、今のような永田町は存在しなかった。健全な護憲リベラルの日本政治が実現していた。朝日新聞の没落も回避できたろう。

 

多田先輩を、上海で開催された記念すべき「従軍慰安婦討論会」に誘った時のことである。彼は中央大学法学部に復員した時の様子を、詳しく後輩に語って聞かせてくれた。同じ教室には、中国からの悪魔のような復員学徒もいた。

彼は教室の黒板前に立って、とうとうと中国での活躍を、自慢げに語り始めた。開口一番「お前らは戦争を知らないだろう。戦争は女を強姦した後だ」と叫んだ。「0000に手榴弾を投げ込むんだよ。わかるか!これが戦争なんだぞ」と勝ち誇ったように叫んだ。証拠隠滅と悪魔の所業は表裏一体である。復員兵の自慢げな「告白」を多田は忘れようとしても忘れられない。そんな秘事を後輩に遺言のように明かしたのだ。

 

おそらく政治部の宴席で、多田は後輩のナベツネにも語って言い聞かせたはずだが、改憲軍拡世論操作に人生を賭けてきた右翼転向組には、馬耳東風だったに違いない。一人の悪魔人間が無数の国民を、言論を武器に誘導する史実について主権者は覚醒し、開眼しなければならない。正力松太郎ら読売新聞グループを「悪魔の使い」と断罪したい気分である。宇都宮徳馬の無念は推して知るべしか。

 

宇都宮に代わってツネの反論を聞きたい。この文章は、中国との交流のなかった友人や主権者に知ってもらいたいとの思いで書いた。盲目は、過ちを二度繰り返す。43兆円の岸田文雄の過ちは計り知れない。安倍晋三や菅義偉など岸信介のA級戦犯に埋没した面々にも伝えたい。今の歴史に無知なジャーナリストの後輩たちへの遺言でもある。

悪魔が徘徊する日本危機に気付く時である!

2024年6月25日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)

 

沖縄戦の惨状「悪魔の日本兵」!

(時事抜粋)6月、同市摩文仁にたどり着いた。海岸近くの壕に入ろうとすると、住民の中に隠れていた日本兵が母に銃を突き付けて言った。「泣く子は入れない」「上の2人は泣きませんから助けてください」。母は懇願し、「母ちゃん、母ちゃん」と泣きすがる末の弟と妹を連れて壕を離れたの。1人で戻ってきた母は、壕の入り口をふさぐように石を積んだ。3日ほど後、壕の入り口から米兵が「デテコイ、デテコイ」と呼び掛け、最初に飛び出した喜屋武さんを抱き上げて水筒の水を飲ませた。「命の水」だった。幼い喜屋武さんには、米兵が天使に、日本兵が悪魔に思えた。