本澤二郎の「日本の風景」(5167)
<材木屋の美人秘書の国取り物語=中曽根派・小此木彦三郎・JR東日本の住田正二と菅義偉>

「歴史は夜作られる」というが、それは男女の関係を意味するということが、この年になってようやくわかってきた。ロッキード事件で右翼のドン・児玉誉士夫とともに失脚するという中曽根康弘(三木内閣自民幹事長)を支えた女人のOは今も健在だろうか?「ツネが面倒見ているよ」との闇からのささやきが届く?その当時、彼女は銅像を建立して祈る日々だった。そういえば極右・高市早苗は、安倍の墓を祀っている映像がネットに出ていた。

 

横浜市議から政界に飛び込んで天下人になった菅義偉首相(当時)は、JR東日本社長だった住田正二の偲ぶ会で、「自分が今日あるのは住田さんのお陰」と本心を明かした。半分は当たっているが、半分は違う。その住田を篭絡した人物は、運輸族の中曽根派・小此木彦三郎の女性秘書だった!ありうる話である。

 

<大平後継で夢破れた中曽根敗因を指摘した日の出山荘秘話>

ロ事件の真実は、本筋である軍用機利権の児玉・中曽根ラインを回避して、東京検察の堀田検事らは、元首相の田中角栄の民間機5億円事件に矮小化した。田中がとばっちりを受けて決着をつけたのだが、この時点で、日本の検察は真実を解明して真犯人を逮捕しないという、霞が関の真実を知った。この時の中曽根とナベツネは、最悪の危機に立たされていたことになる。悪運が強い人間が権力を掌握するのであろうか。悲しい。

 

政局は、三木武夫から福田赳夫を経て大平正芳へと継承される。その大平の大敵が、戦前派・岸信介の後継の福田派配下の青嵐会。台湾派の同派が反角から反大平となって、親中派政権を揺さぶり続ける。その心労で大平が急逝するという場面で、中曽根が勝負に打って出たのだが。その時、中曽根と富山を遊説中だった筆者は、「大平さんが亡くなった」と記者の部屋に未明に押しかけてきた時の様子を記憶している。薄い頭髪が四方に乱れていて、全くサマにならなかった。彼が毛髪薬に気を回していた理由である。

 

遊説を取りやめて上京するのだが、事態は中曽根の期待に反し田中角栄は、後継に大平参謀の鈴木善幸を推して決着をつけた。

意気消沈する中曽根は、鈴木内閣で行政改革を担当することになり、全く元気がなかった。行革は官僚いじめでもあるため、だれも手を付けようとしない。役所は決まって水ぶくれとなるのだが、肝心の政治家が逃げる。元気のない中曽根は、記者仲間を引き連れて奥多摩の日の出別荘に案内し、酒を酌み交わすことになる。農家の家を買い取った別荘には、囲炉裏があり、座布団が10枚ほど敷かれていた。

 

「この座布団は池田大作さんから贈られたもの」と説明した。彼は公明党を指揮する池田と交流していたことになる。間を取り持った人物は、またしても読売のナベツネだ。久しく聖教新聞の印刷は読売が毎日新聞と共に印刷し、大きな利益を上げていた。現在も。ツネは商売人だ。言論を武器にしての金もうけは、読売の営業部長レベル以上である。そして車いすの現在も主筆を演じている。

 

酔いが回ると、中曽根は数人の記者と外に出た。月は煌々と暗闇を照らしていた。このとき、筆者は中曽根が天下をとれなかった原因を解説した。彼は聞き上手だ。耳を傾けてくる。「中曽根さんについての財界(財閥)の支持が全くなかった。理由は何をやるかわからない人という判断をしていた。財界で動く自民党政治である以上、財界との関係をよくすることが不可欠。その点で、行革を推進するポストは最善。いま経団連の会長(確か東芝の土光敏光)は行革に熱心。行革推進で財界の信頼をつかむことが、天下人になる秘訣」といって、中曽根を諭した。

 

かくして結果的にいうと、中曽根行革がうなりを上げて進行することになる。彼は最大の弱点だった財界との関係を構築することになる。ナベツネ顔負けの筆者の進言だった。

実をいうと、吉田茂を支えた御三家の一人である林譲治(元衆院議長)の娘婿である大蔵省OBの岩動道行参院議員と親しかった関係が役立った。彼は吉田首相秘書官も歴任していたため、財界人脈に通じていた。いち早く「財界の様子を頼む」と頼んでおいた。結果は「中曽根は危ない。何をしでかすか」が大方の評判だった。これでは中曽根の芽はないと知っていたので、ついアルコールの勢いもあって、中曽根を叱咤激励をしたのである。

余談だが、庭先に何本も柚木の木が植わっていた。青い実がなっていた。さっそく自宅の小さな庭に柚子の木を植えた。今年は気候のせいか、花が咲かない。気候に左右される木々も人間同様にか弱い。

 

<日本人女性はトップに立てないがすごい武器で男を支配>

国家主義者の中曽根行革の柱が、筆者の意に反して総評の柱である国労退治が始まってゆくのであろうか?そうだとすると、日本の健全な労働運動に悲劇をもたらす。そんな先行きなど理解できなかった凡人ジャーナリストだった。

総評解体から連合へと移行する中で、日本の左翼運動は崩壊してゆく。中曽根の国労退治の過程で、中曽根派の運輸族・小此木彦三郎の出番がやってくる。当時はそうした認識はなかったのが猛省材料である。

彼の事務所には、黒い大きな目をしたとても気の利く「材木屋の美人」がいた。部屋を覗くと、ニコニコしながら即座にコーヒーを入れてくれる。小此木が寵愛する美人さんだ。その後、彼女の手で菅義偉首相が誕生する!だれも予想は出来ないことだった。

 

彼女が国鉄改革の場面で、小此木が運輸事務次官となった住田をマークするように指示していたことは、最近のネット情報で知ったのだが、そこから住田と中曽根の特別な関係もあってJR東日本社長になる。住田と親しくなった女性秘書の大活躍が始まった。そこに法政大学で苦学生の菅が飛び込んできた。彼女は菅を面接して、最下位の私設秘書に組み入れ、ついで部下の女性と菅を結婚させる。菅を市議に押し上げると、そこからJRと結びつかせて小此木の後継者として政界に送り込む。住田の配下のJR改革の3人組(松田・葛西・井出)との関係で、菅は浮上への切符を手にする。

そんな葛西を「安倍の小僧」が、国士と呼んでいた?とい話しが出ている。「材木屋の美人」が聞いたら大笑いしているだろう。

 

日本では女性が天下を取ることは想定できないが、天下人を作り出し、操ることは出来る。菅を首相にしたのは、住田ではなかった。いま思い出すと、1995年の戦後50年を記念して中国の南京・盧溝橋を旅した。50人編成を目指して知り合いの秘書に声をかけた。その一人が彼女だったのだが、「親の介護で外に出られない」といって断られた。むろん、裏の世界で大活躍していることなど全く知らなかった。もし彼女が南京に同行していたとすると、筆者と菅は、最初の時点で出くわしていたことになるだろう。

 

中曽根の行革・国鉄改革の過程で小此木の出番が訪れる。そして美人秘書が住田と仲良くなって、その後に菅の出番が生まれる。菅が総務大臣時代にNHK退治で安倍を信頼させ、さらに官房長官として安倍事件の数々を処理して、遂には後継者となってゆく。安倍事件は葬られる。まさに満身創痍の菅内閣は、それゆえに短命で終わったのだが。

 

<余談!小此木を脅した毎日新聞のS記者>

あるとき事務所に行くと、小此木が血相変えて「君は毎日のSを知ってるか。わしを脅してきた」と大声を上げた。事情を知らない当方が驚いてしまった。察するに取材に協力しなかった小此木に「OOOのことをばらしてもいいのか」と迫ったのであろう。幸いなことに女性秘書はいなかった。

 

国会議員を脅したSもまた、派閥を横断的に取材していた。当時はサンデー毎日の仕事をしていたのかもしれない。

政治屋を脅した記者と、大声でそのことを別の記者に恥ずかしげもなくわめいた政治屋?脛に傷を持つ者同士の争いを初めて目撃した凡人ジャーナリストは、もっと驚いてしまった。

 

<女性も外国人も安心して日本で暮らせない日本政治!=やくざ暴力団追放国民会議は必要>

ついでに言うと、日本は安全な社会にほど遠い。特に女性が美人だと、本人がよほど警戒しながら行動を律していないと、大変な事件に巻き込まれる。しかも、相手がやくざ暴力団だと警察が動かない。「木更津レイプ殺人事件」が立派に証明してくれた。木更津署や千葉県警が特別だとは思いたくない。やくざ暴力団追放国民会議は必要である。

今朝玄関先に開いた魚缶詰めを、誰かが放り投げていった。家を燃やし、缶詰にしてやるぞ、との脅しなのかもしれない。

危ないのは外国人も、である。警察の差別捜査だけではない。

 

東京新聞が報道していた。

(東京新聞)新たな入管制度では、税金や社会保険料を滞納した場合や在留カードの不携帯なども取り消し対象になりうる。移住連には永住資格を持つ外国人から、「安心して日本に住めなくなる」などの声が多数寄せられているという。法案は週内にも衆院法務委員会で与党の賛成多数で可決される見通しとなっている。(池尾伸一)

 

首相を誕生させた美人秘書は、いまどうしているか?彼女は見方によれば立派かもしれない。悠々自適のはずの現在はどうしているのか。元気ならやくざ暴力団追放国民会議の顧問か参与になってもらいたい。

2024年5月17日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)