本澤二郎の「日本の風景」(5152)

<憲法と歴史を教えなかった戦後の教育>

造られた緊張外交に対して、偏狭なナショナリズムが芽生えてきた日本を、国際社会は警戒し始めてきている。ネット上に飛び交う右翼的言論は、ヤフーやマイクロソフト、グーグルに及んでいて、歴史や憲法に無知な若者・市民の精神を蝕んで、改憲派を狂喜にさせている。

最近、平和主義を吹聴してきたカルト教団で、それなりの地位に就いていた人物とおしゃべりして言葉を失った。「北朝鮮脅威論」を前提に日本侵略を想定して、憲法に違反する改憲軍拡を肯定していた。岸田文雄が首相の地位にしがみついて、それを維持するために360度の憲法認識をするのに似て危うい。公明党創価学会が安倍晋三の配下となって、2015年に自衛隊参戦法制の強行に走ったことは、まだ記憶に新しい。

 

筆者は嘉悦女子短期大学と二松学舎大学で6年間、教壇に立った機会を利用して、憲法9条認識をアンケート調査してみて腰を抜かした。8割ほどが、中学や高校で憲法を教えられていなかった。憲法を知らないまま日本国民として社会に飛び出した人々は、国民全体でもおそらく8割前後に達するかもしれない。日本の戦後教育の恐ろしい欠陥を裏付けている。

大学在学中に司法試験勉強に徹して成功した法律家は、いま高校・大学に通う二人の孫と対話しながら、毎回衝撃を受けている。

「召集令状が来たらどうするつもりか」と聞くと「逃げる」と即答する。「どこへ、どうやって?」と問い詰めると、沈黙してしまう。そのための管理社会を当局は構築している。「それよりもデートのお金頂戴」と話題を変える。

 

亡くなった中国の李克強総理が共青団のトップにいたころ、単独会見をした際の彼の言動を覚えている。「中国の若者には不幸な歴史をしっかり教えている。日本もぜひ歴史を教えてもらいたい。二度と繰り返さないために」と念押しされた。

日本では海部俊樹首相(当時)が外遊先のシンガポールでの演説で「日本もこれから近現代史を教えていく」と演説したのだが。嘘だった。文部省現在の文科省による学校教育は、依然として近現代史とそれに結びつく日本国憲法を教えていない。

 

ドイツのワイツゼッカー大統領(当時)は「過去に目を閉じる者は現在と未来に対して盲目である」と喝破した。日本の戦後教育の欠陥が、同じ愚を繰り返そうとしている現在であろう!

43兆円の超軍事大国化・戦争準備に沈黙する野党と言論界は、神道・日本会議に操られる自公の共犯者なのだ。つまりは日本国民も、である。

護憲リベラルによる政権交代が起きないと、日本は79年前の悲劇を繰り返すだろう。やくざ暴力団が跋扈する房総半島と日本列島がその前兆だと見たい。

 

<平和憲法を破壊する戦後の岸信介と清和会政治とツネ>

歴史は繰り返す。武器弾薬に特化している財閥と靖国参拝をする自衛隊という軍閥、自民党内で主導権を握った神道政治連盟は、事実上の国家神道の復活を裏付けている。

前述の老法律家は「生きている間に銃弾が飛び交うことはないと判断していたが、それが怪しくなってきた。少なくとも孫たちはこのままでは確実に巻き込まれる。気が狂いそうだ」と嘆く。理解できる。憲法をまるで理解していない国民が多すぎる。街頭に出て怒りの運動をする市民が少なすぎる」といって肩を落とした。

 

自民党派閥政治を現役の政治記者として20年、自民党本部と首相官邸を覗いてきたたった一人の体験者として思うことは、若者の教育を担当する文部大臣(文科相)人事を、党内でもひどく軽く見ていた。多くの文部大臣を、A級戦犯の岸信介陣営が抑えていた。

沢山の教科書裁判も起きたが、最高裁長官人事は首相が任命する。官邸にひれ伏す司法・ヒラメ長官である。国会という立法府も司法の裁判所も、行政府である官邸に支配される、欠陥のある三権分立か。監視役は野党と言論であるが、特にこの10年の言論界は死んでしまった。それゆえの本ブログの「日本の風景」である。

 

平和軍縮派の宇都宮徳馬を裏切ったツネにひれ伏す官邸の主には反吐が出るが、言論の自由が保障されている言論界が、そして国民の代表が老いぼれのツネにいまも屈する!深刻すぎる独裁的言論人という異様な事態を、なぜ克服できないのか。野党・言論界・文化人の決起を促したい。明日は1947年5月3日に施行された日本国憲法の69回目の記念日である。

2024年5月3日記(茅野村の反骨仙人・日本記者クラブ会員)