本澤二郎の「日本の風景」(5148)

<非業の死を遂げた木更津レイプ殺人事件から10年=姿消した美人栄養士の瀟洒な住宅と墓地=犯人やくざ浜名は介護施設経営>

市民に姿を隠した3本指の入れ墨やくざ浜名にレイプ、性奴隷を強いられた女性に生きる道はなかった。木更津市の君津中央病院で非業の死を遂げた美人栄養士のK・T子さん、その日から今日で10年である!

 

戦争未亡人と遺児の瀟洒なF中学校前の住宅は、夏草が生い茂って見る影もない。往時をしのぶものは、遺児が育てた夏みかんと柚子の木。ミカンもぼたぼたと落下してくすんでいる。

小窓が割れて動物の巣になっているのだろうか。数か月前、人のいないはずのこの家が火事になった、と隣人が教えてくれた。

 

硫黄島に派遣される途中の輸送船に乗船していた父親は、娘の顔を見ないうちに船もろとも海中に沈んだ。未亡人は夫のために木や草花を植えて弔っていたという。庭には何本もの百日紅の木があった。真夏でも花を咲かせる木だからであろう。遺児も負けじとバラを植えて、庭を美しく飾っていた。秋田県由利本荘市での子育ても終わって故郷に戻り、老いた母親をみとって再婚する寸前に、やくざ浜名の罠にはまって息絶えた。

性奴隷から抜け出そうとした途端、浜名の恐怖のドーカツ「(動画を)ばらすぞ」と一括され、それによって突発性の大動脈りゅう破裂で非業の死を遂げた。

 

敗戦後、夫の実家のある木更津市畑沢から木更津港の岸壁で、幾日も帰らぬ父を待ち続けた戦争未亡人と戦争遺児。母親が「暗くなるから帰ろう」というと、幼子は「もうすぐお父ちゃんは帰る。まだ帰らない」といって母親の袖にしがみついた。哀れ木更津版「岸壁の母」か。戦争が父を、娘をやくざ浜名が奪った「木更津レイプ殺人事件」は、後世映画化するに違いない。

 

栄養士とやくざ浜名は、共に創価学会があだとなった悲劇である。木更津市巌根で介護施設「かけはし」を現在も経営している富津市生まれの3本指の入れ墨やくざ浜名の甘言に騙されて、アルバイトを始めた。一人住まいのT子さんは、難なく浜名に強姦され水商売を強いられ、そこから逃げ出そうとして「(動画を)ばらすぞ」という脅迫に血管が破れ、心臓が止まった。

 

君津中央病院にヘリコプターで搬送されたが、2日後に強い心臓も止まった。世にも恐ろしい殺人事件を遺族は隠して、祖父と母親が眠る墓地に一旦は埋葬したのだが。しかし、数年後未亡人が建立した墓地はすべて掘り返され、いずこへと持ち去られた。やくざ事件の恐怖は、家宅地のみならず、財産を根こそぎ奪ってしまう。

警察なら簡単に証拠を取れるが、ジャーナリスト単独の取材では限界があるが、それでも真相をつかむことができた。

もっと恐ろしいことは、木更津署が捜査をしない点である。

 

<幻となった戦争未亡人・遺児の美しい庭園と「岸壁の母と娘」

我が家の近くに二人の子供を、30代の若さで亡くした悲劇の老婆がいた。さらに二人の息子と娘のいる家庭では、息子二人を亡くした。この両家とも草花を植えて、亡き子供たちを弔っているということを知った。我が家も、医療事故死した次男正文のために草花を植えている。

 

戦争未亡人は戦前戦後、助産婦として大活躍した、地元ではちょっとした有名人だった。筆者を含めおよそ3000人が、彼女の手によってこの世に生まれた。大恩人なのだ。庭木や草花を愛していたのも、赤紙一枚で戦場に狩り出され、無念の死を遂げた夫への思いがそうさせていたのだった。

我が家にも彼女が育てた百日紅の遺木がある。

遺児のK・T子さんの命を奪った、富津生まれのやくざ暴力団・3本指の入れ墨男の浜名を、ペンの力で必ずや召し取って墓前に報告しなければならない。千葉県警の覚醒を強く求めていく。

二葉百合子ではないが、本日は岸壁の母と子への誓いの日なのだ。読者諸兄の支援を強く求めたい。

 

<犯人も被害者も創価学会関係者=公明党の影>

このチンピラやくざのレイプ殺人事件の犯人と被害者は、共にカルト創価学会の信仰者。やくざが厚労省認可の介護施設を経営していることが、そもそも怪しい。背後に公明党の政治力が見て取れるだろう。それゆえに公明党創価学会が、鉄の蓋で隠蔽しようとしていることが、容易に想定される重大事件である。

 

「やくざと創価学会」は、今では常識になっている。やくざは政治力で、行政の事業に食らいつく。木更津市では入れ墨やくざが、長く市のごみ処理をほぼ独占的に行ってきている不思議な土地柄である。入れ墨専用の風呂も有名。議員にやくざ系が相当数いることも分かってきた。市長がやくざ系であるから悲劇を通り越して情けない。民主主義が機能していない。

 

木更津署のやくざ担当刑事が、その後にやくざ代議士の側近として君津市議会議長にまでのし上がった。その娘のラーメン店では「ハマコーラーメン」が堂々とメニューになっている。まさにやくざ暴力団の巣であることをひけらかしている。千葉県警の不条理・腐敗そのものであろう。

そこから木更津市の隣の袖ヶ浦市の水源地に、想像もできないフクシマの核汚染ごみ埋蔵事件が派生した。案の定、千葉県も袖ヶ浦市も、住民の悲痛な叫びに耳を傾けようとはしていない。房総半島の行政は「やくざ支配」という住民の指摘さえ出ている。民度の低さはいかんともしがたい。

 

<「やくざ暴力団追放国民会議」旗揚げへ>

うれしい報告もある。やくざ暴力団を追放する有志が「国民会議」を立ちあげる動きだ。まずは房総半島のドブさらいから、いずれ全国にも運動を展開しようという。

恩師・宇都宮徳馬のいう「50,60は鼻たれ小僧。男盛りは真っ八十」を思い出す。人間は80歳になると、世の中を理解する能力が出てくる。「世のため人のためになれ」とは80代で亡くなった祖父・松本貞二郎の遺言でもある。

1989年に千葉県知事・沼田武の音頭で「暴力団追放千葉県民会議」が誕生した。当時の9社会の支局長は全員参与になった。いま公益財団法人になっているというが、実態は何もない。知事の熊谷俊人を操っているのがハマコー運転手。話しにならない。

 

水田三喜男・池田淳・水野清秘書をした御園豊、やくざに詳しい日景省吾や元創価学会幹部の露崎清美、八千代市の青柳敏雄らが呼びかけ人。目下、有志を募っている。

やくざ暴力団追放国民会議の旗揚げは、むろん泉下の戦争遺児も喜んでくれているだろう。

彼女を浜名の元へと引きずり込んだ共犯者のヘルパーの吉田文枝はがんで死亡したという。因果応報か。大工の佐久間清は?

現状のまま推移する房総半島の未来は、確実に危うい。いま女性も子供も安全に暮らせる半島にすることが、今を生きる世代の使命であろう。本記事の拡散を期待!

2024年4月28日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)