本澤二郎の「日本の風景」(5147)

<安倍派を介錯した安倍派の宮沢博行の見事な生きざま?>

永田町政治屋スキャンダルというと、パパ活とかデリヘルという言葉が氾濫する。小選挙区制下の優雅すぎる不道徳な実態を暴いて余りあろう。官房副長官だった木原誠二の場合、彼のデリヘルが理解できなかった。今回はパパ活だという。辞書にも載っていない。どうしたものか?ネットで調べて、ようやくわかった。清和会の安倍チルドレンの宮沢博行は、当然のことながら議員辞職した。凡人ジャーナリストは、前防衛政務官の素行が、細部にわたって週刊誌の活字になり、それを理由に議員辞職した宮沢に興味をもった。

しばらくして原因が分かった。安倍・清和会の裏金疑惑の突破口を開いた勇気ある安倍チルドレンが、岸田文雄の格好だけの派閥解消に貢献したのだから。

 

しかし、相手は日本会議・権力主義の安倍・清和会のことだ。恐ろしい逆襲が待ち構えていた。本人は不道徳な秘事が暴かれることは考えていなかったろう。どっこい、極右の制裁は甘くなかった。逃げ場がなかった。

「安倍派を介錯する」という正義の行動の見返りは、本人以外分からないと判断していたパパ活を週刊文春に通報されていた。昨今、内部告発は週刊文春に限られている。幸運な週刊誌である。一方で月刊誌文藝春秋は、助け舟を用意している。政界きっての悪党である人物の偽りの言動を活字にした。両者でキャッチボールしているのだ。商売繁盛はナベツネの手口をまねている?分かるかな!

 

<修身斉家の人がいない小選挙区制下の自民党議員>

中国では、古来より国を治め、平和な天下をつくる政治指導者の要件を、すなわち治国平天下のリーダーは、修身と斉家の人でなければ務まらないと厳しい枠をはめた。ことほど人間は始末におけない動物なのだ。

公僕の資格のある人物がいない。利権に食らいつく輩は数知れず、女性をネコか犬のようにもてあそぶ政治屋ばかりといっていい。これを監視・追及する国民の代表としての言論人が、これまた全くいい加減ときている。そんな代表が読売新聞で長く君臨してきた。

 

渡辺恒雄の恩師・宇都宮徳馬は、「ツネの仕事は楽だよ。権力・体制にすり寄っていればカネの心配もなく楽なんだよ」と喝破した。財閥・政府に寄り添っていれば、こんな楽なことはない。図星であろう。

 

<野党議員の中にも修身斉家の人物がいない?>

宮沢博行は「安倍派の介錯」に貢献したが、見返りは議員辞職だった。公安警察は、全国会議員の素行を監視しているのだろう。全議員の秘密のファイルが存在しているのかもしれない。

したがって、野党はツネに政権交代の機会を手にしていることになろう。しかし、野党議員もまた脛に傷を負っている。「どっちもどっち」と言われかねない。

追及に甘さが出る。世界一の高給に満足している野党議員には、迫力不足が目立つ。「自民党のやくざ国対に、野党国対は対抗できていない」との評価につながる。現に小沢一郎は、不甲斐ない野党国対に対して日々いらだっている。野党国対の議員は、厳選して不正腐敗のない人物を選任することが不可欠だ。岸田の野党対策は、野蛮でみっともない分、効果もあって野党はきりきり舞いさせられている、と分析できるだろう。

忘れてはならないことは、宮沢の貢献に対しての岸田の礼は何なのか?
 

<政治改革の根本は小選挙区比例代表制の即時廃止>

政治改革は企業団体献金の厳禁と、より根本的なそれは、国民の意思が反映されない小選挙区比例代表制を廃止することである。現行制度では、神道と創価学会の組織票に野党は勝てない。自民党は野党分断策にカネを投入するだけで、大敗することはない。この悪い制度を廃止するしか、この国の民意は財閥主導で動いて、歴史を繰り返す沈没国家となるだろう。

悲しいかな宮澤博行の介錯は、まだ完結していない。森喜朗の証人喚問が不可欠だ。野党国対と自民やくざ国対を注視したい。

2024年4月27日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)

(共同)自民党の清和政策研究会(安倍派)会長経験者の森喜朗元首相は、26日配信の月刊誌「文芸春秋」電子版のインタビューで、派閥の政治資金パーティーで長年続いてきた資金還流について「知らなかった」と関与を否定した。倍派で1998年12月以降の森会長時代に始まったとの指摘に対して「私を陥れるための作り話だ」と反論した。

日銀総裁は「もっと円安だ」に衝撃!

(朝日)日本銀行が現状の金融政策の維持を決めたことを受け、植田和男総裁は26日の記者会見で、足元で急速に進む円安について「今のところ基調的な物価上昇率に大きな影響は与えていないと判断した」と述べた。