本澤二郎の「日本の風景」(5087)

<月刊誌「紙の爆弾」の「安倍・清和会」分析を読んだ読者の感想と掲載ゲラ紹介=特別紙面>

「紙の爆弾」3月号「安倍派とは何か」を読みましたという元新聞記者の高澤佳代乃さん。冒頭「へーっと思う内容で面白かったです。私のように政治に疎い者にも分かりやすいと思います。田中角栄とか大平正芳とか懐かしいですね。大平さんは読書家だったのか、私が本屋でバイトをしている時、2度も来店。総理大臣を間近で見たのは、それが初めてでした。本澤さん、これからも紙の媒体にも書いてください。2月19日」

 

彼女は首都圏紙「東京タイムズ」で確か文化・芸能を担当していた。彼女の本心からの文面からも、多くの国民は政治を知らない。政治の本質を理解していない。いわんや新聞記者とは無関係な分野で生きてきた庶民大衆は、民主政治を理解できない。

戦後の教育に問題が潜んでいる。小中高の教育は、憲法も教えない、選挙の実情も語られない。政治を無知のまま社会に送り出す教育に、戦前派の野望が見て取れる。果せるかな、歴代の文部大臣は安倍・清和会系の議員が、その地位を占めている。大半が護憲リベラルではなく、改憲軍拡派が多い。安倍の人事を見れば一目瞭然。そこで統一教会などカルト教団が育まれてきている。

 

「紙の爆弾」<安倍・清和会とは?ブログ初公開>政治評論家・本澤二郎分析

<田中角栄邸炎上とドローン疑惑>

 2024年1月9日午後、70年代の日本政治の舞台となった田中角栄邸(目白御殿)が炎上するという、明らかに「事件」が起きたとみたい。事情通によれば、直前に田中真紀子さんが清和会裏金疑惑で激しく揺れる自民党を一刀両断に斬りまくって、民衆の政治不信を少しだけ癒していたことから、右翼サイドによるドローン攻撃による火災と見られている。

 

1996年に角栄邸に入り、その後は金庫番の佐藤昭の運転手となった元秘書は、広大な屋敷の思い出を「角栄ゴルフ」だと語っている。そういえば、我が家の小さな朽ちた書斎で、最近になってホールインワンと印刷した手ぬぐいが一枚出てきた。

筆者は72年の佐藤後継総裁選で、取材目的で仕方なく、興味のないゴルフを握ったものの、成績は決まって猛打賞かブービー賞。一度だけ優勝した。平成元年3月5日の在京政治部長会の竹下杯ゴルフコンペである。角栄の草履取りから飛び出した竹下登の内閣の時で、ゴルフ幹事役が読売の本田先輩だった。彼はツネとは馬が合わなかったらしく、東北地方のテレビ局に飛ばされてしまう。ちなみに「平成」と大書した文字を、ことさら高く持ち上げてカメラマンにポーズをとった御仁が側近の小渕恵三。平成の竹下杯優勝の原因は台風だった。

 

 こんなわけでホールインワンなど思いもよらないことだったため、念のため手ぬぐいを広げてみた。それは昭和48年8月17日の箱根・仙石ゴルフコースと田中角栄の署名が印刷されていた。よほどうれしかったらしく、記念の手ぬぐいを作り、田中派担当記者にも無理やり押し付けてきた代物だった。それほどゴルフに目がなかった証拠である。そういえば、角栄番記者の初仕事がジャック・ニクラウスとのゴルフ対決だった。田中のゴルフ狂は、角福戦争によるストレス解消法でもあったことなど、駆け出し記者にはわからなかった。

 

 72年7月7日の総裁選で、当時大方の予想を覆して本命の福田赳夫を破ったことが、新潟県の雪深い田舎から飛び出してきた角栄の、政治家としての絶頂期を意味した。しかし、敗れた福田の捲土重来を期す福田・清和会の背後には、恐ろしく怖い強力な武器が味方していた。戦争犯罪を問われても米CIAと手を組んで復活した、岸信介と同じ東京裁判でA級戦犯となった黒い仲間たちだったことを、半島での兵役を終えた元日本軍二等兵の頭が理解していたかどうか怪しい。文芸春秋の立花隆チームと連携していた福田・清和会が、間もなく田中金脈問題で挑んで来ることなど想定できなかったらしい。むろん、娘の真紀子も「お父さんもうやめて」と父親を引きずり下ろすことが精一杯だった。角福戦争第二、第三、第四ラウンドなど知る由もなかった。

 

<角栄勝因は宏池会大平正芳の日中正常化に向けた大角連合>

 いま安倍・清和会が民衆から袋叩きに遭遇している。98人という巨大派閥による裏金疑惑にメスを入れた東京地検特捜部に拍手を送っている。確かに、安倍・清和会は、極右片肺内閣ゆえに、強権主義と独裁と嘘でもって、国民に目を向けようとしなかった史上最低の長期政権との、ありがたくない評価を受けている。311のフクシマの教訓を忘れた原発推進政策・GDP比2%超軍拡と口を開けば改憲合唱に、日々の生活に汲々としていた庶民は、恐怖と危機感で震えあがっていた。

 

 加えて、無限に福沢諭吉を刷りまくる日銀の異次元金融緩和は、意図的に円安を誘導して、それを実に10年も継続、日米の金利差も手伝って円激安による物価の急騰で、国民生活は困窮を強いられて、消費どころでなくなってきている。いうところのアベノミクスで財閥の内部留保は膨れ上がり、関係筋の間では500兆、600兆円とささやかれている。日銀は「物価の番人」という大事な任務を放棄して、主に財閥企業の株買いという禁じ手まで使って、自民党のスポンサー・財閥に目を向けてきた。さらにそこへ国民のなけなしの資産である、年金基金まで投入しているではないか。総裁が黒田東彦から植田和夫に代わっても大差ない。

 

 政府批判はまさに、天まで届く勢いである。

 記憶をたどると、竹下側近の小渕恵三の突然の死を奇貨として、清和会の森喜朗が密室談合といういかがわしい手段で政権を奪うと、自民党内の戦前の国家神道を引きずる神道政治連盟は息を吹き返した。森喜朗が「天皇中心の神の国」と叫び、続く小泉純一郎は憲法の政教分離違反の靖国神社を参拝して、72年の田中・大平の歴史的外交成果をチャラにした。恐ろしいことに、その事実を新聞やテレビ雑誌は報じなかった。隣国との信頼関係を破壊してしまった、という重大な外交失態を封じ込めてしまった。安倍晋三は小泉の反中政策に輪をかけて、日本の外交と防衛政策を中国敵視政策へと右旋回させた。あまつさえ中国の内政問題である台湾問題について、台湾独立派に塩を送り続けてきた。公然たる内政干渉である。日本のアジア外交は事実上、頓挫してしまったことになる。

 

 大角連合による日中国交回復は「アジアの平和と安定の基礎」だったが、その大義は根幹から破壊されて、いまや見る影もない。この中国問題こそが、自民党内の極右と中道リベラルの抗争・死闘の元凶なのである。

 

 日中友好に政治家人生をかけてきた大平正芳の世田谷の私邸は、田中角栄の東南アジア5か国歴訪の最中に消失した。森の「神の国」靖国神社参拝派に抵抗した大平の秘蔵っ子・加藤紘一の山形県の自宅も、右翼によって焼かれた。そして今回、目白御殿が炎上して貴重な資料も一緒に灰になった。

 右翼の手口は、第一義的には人の命を間接的に抑え込んで、住まいと貴重な資料を完全に火の灰にすることであることが判る。犯人捜査は可能である。元警視総監の秦野章のいう「現場100遍」で犯人像は判明するとみたい。問題は警察・検察の覚悟である。

 

 日中友好路線に徹した大平は、岸信介内閣がボロボロにした台湾寄りの外交路線を、池田勇人内閣を誕生させ、官房長官と外相を歴任する過程で、正常な軌道に戻した。このことを知る日本人はもう少ないだろう。池田後は、岸の実弟である佐藤栄作の長期政権の下で、再び台湾寄りの外交が浮上する。この間、大平は盟友の佐藤派の田中角栄と連携して、佐藤後の政権奪取に希望を託すことになる。7年8か月の佐藤政権が終わる段階で、大角連合による政権獲得レースが本格化する。その場面で筆者はたまたま大平番を担当することになって、大平の人柄に触れることになる。岸と佐藤の後継者の福田に対抗する大角連合の政策的スローガンは、日中国交回復に絞られる。これにハト派の三木派や水田派などが賛同して、無派閥に攻勢をかけてゆく。機を見るに敏な小派閥の中曽根派は、勝ち馬に乗ろうと躍起だった。ただ当時の自民党スポンサーの財界は、経済的利益にこだわって親中派になびいていた。そのために新聞テレビは、概して田中びいきが多かった。自民党きっての国際派のリベラリスト・宇都宮徳馬は、待ってましたとばかりワシントンの議会人脈を説得してゆく。私財をはたいてカルフォルニア州サンタバーバラで米議会人の重鎮を集めて合意を取り付けることに成功した。こうして日本の対中外交の壁は大きく開いた。

 

 新聞は、佐藤長期政権による官僚主義に反発を強めていた。岸と佐藤の長州兄弟連合がテコ入れした福田は、敗れるべくして敗れ去ったのだが。これが反共台湾派の怨念となって、大角をとことん苦しめることになる。田中が金脈問題で退陣すると、三木内閣が発足するや、ワシントンからロッキード事件が火を噴いた。そして首相経験者の田中逮捕。その後に大福連合による福田内閣誕生で、角福怨念は消えたと思われたが、自民党初の党員参加の総裁選で、幹事長の大平が首相の福田を破った。勝因は行動力に勝る田中派の大平支援にあった。既に岸の別動隊の右翼・青嵐会が自民党内で暴れまくっていた。中川一郎・石原慎太郎・森喜朗らの青嵐会が大角体制に猛然とかみついてきた。やくざ代議士で知られる浜田幸一も。

 

1980年の予算国会の空転、いうところの40日抗争は、反主流派の反共台湾派・福田派の大平内閣不信任案へと発展する。大角連合は解散権を行使せざるを得なかった。当時の大平の苦労は察するに余りあろう。党が分裂するという事態に追い込まれ、苦悩する党総裁首相の大平は、いつ倒れてもおかしくないほど精神はボロボロになっていた。選挙戦に突入したものの、既に心臓は壊れていた。急性心筋梗塞で倒れ、そのまま虎の門病院で非業の死を遂げた。

 

中国との関係正常化という日本外交史上、最大の成果を手にしたものの、その代償は二つとない命を捨てることだった。田中もまた同じような運命を強いられた。

 

2018年の角栄生誕100周年の真紀子節は歯切れがいい。政治評論家も形無しだ。「安倍夫妻を国民の前でうそ発見器にかければいい。自殺者まで出している。原因は安倍夫妻。こんな人たちに政治をまかせては絶対ダメ!」国民のほとんどが拍手喝采している。

 

<戦犯の岸信介の清和会の恐ろしい黒い人脈>

 いま安倍・清和会政治が問われている。そのルーツを辿っていくと、戦前の大陸侵略の象徴ともいえる満州国傀儡政権で活躍したA級戦犯ばかりが浮上してくる。米国の謀略機関がスカウト・起用した反共の砦作戦の恐怖を裏付けているのだが、そこには倫理も道義もなかった侵略者であることがわかる。ワシントンはロシアや中国の共産圏との対抗勢力に、日本の侵略者の政権樹立を図ったことになる。共産勢力の防波堤としての日本を盾に侵略勢力を抱え込み、関与させるという大胆な野望を仕掛けたのだ。護憲リベラルとの対決が、その後の自民党史を飾ることになる。日本敗戦時の恩情あるワシントンの平和と福祉の日本は消されるのである。

 

 平和国民が決して許さないA級戦犯勢力の岸勢力を復活させ、起用することで、日本政府を「属国」にし、反共基地の日本に仕上げていく。岸信介らA級戦犯は、典型的な主権者を裏切った売国奴である。この真実を国民は決して忘却してはならない。戦争を放棄した平和国家日本を、米国の属国にするという不条理極まりない国際条約が日米安保である。日米安保破棄は、善良で自立した日本国民の心からの叫びである。反対に米国は、決して裏切りをしない売国奴の反共主義者の岸、さらには佐藤の兄弟に唾をつけた。

 

 CIAの陰謀は、多少の紆余曲折はあつたものの、反共台湾派の岸人脈は、福田・清和会を経由して、森喜朗がうまい具合に政権に就くや、続く小泉純一郎、さらに岸の孫が登場するに及んで、見事に戦前回帰へと開花したことになる。

 世論操作機関としての電通の人脈は、大半が満州人脈で固められたことが判っている。電通によるメディアに対する言論操作は、安倍内閣が誕生すると、なんと公共放送であるNHKをも「安倍のための放送局」に変質させた。安倍長期政権の元凶はNHKであるといえるだろう。NHK会長になった海老沢勝次について一部で「読売の渡辺恒雄の仕業で会長に。安倍に女記者を20年もの間、侍らせた黒幕」との指摘も頷けるかもしれない。

 新聞テレビの右傾化に貢献した今は車いすのナベツネと、仲間の海老沢の動向をしばらく注目すべきだとの声も。「ツネは忘恩の徒」と断罪した宇都宮徳馬は、戦闘的リベラリストで知られる。72年、73年ごろの永田町と平河町の界隈は、右翼の街頭宣伝車で埋まった。一人街宣車の右翼に向かって、食って掛かった御仁が宇都宮だった。「右翼の活動費は財閥が出しているんだよ」と言われて、驚きながらも納得した記憶がある。

 岸・福田の反共台湾派と右翼団体の関係は、岸内閣の取り巻き連中の暴力装置を見れば、一目瞭然である。児玉誉士夫と笹川良一らがその代表格だ。右翼暴力団のドンで知られる。

 笹川については一部で「70人の子供を作った」と言われている性欲の塊のような人物で、ギャンブルを自身の利権にして、膨大なカネを懐に入れてきた。今のボスは陽平か。数年前になるが、陽平が山梨のゴルフ場に安倍晋三以下、小泉と森、麻生を呼びつけてゴルフをした。映像がネットに登場して波紋を呼んだが、その意味するところを現代人はよく理解できないでいる。

 現職の首相と首相経験者を呼びつけてゴルフと宴会に興じる笹川の政治力は、日本一の黒幕を世間に見せびらかせている。さすがに反共靖国参拝と改憲軍拡に対して、福田赳夫の倅・康夫は反対している。彼は神社参拝が政教分離違反であることと海外の反発に配慮して、安倍や小泉らと一線を画して、ひたすら日中友好に賭けている。むろん、笹川の軍門に下ることはしない。

 

 田中は政権を担当している時、笹川からギャンブル利権を取りあげようとしたことがある。無念にも福田・清和会の抵抗で腰が折れてしまった。国民にとって憂うべきことである。ギャンブルは国交省の利権で知られる。これに食らいつく公明党と笹川の不可解な関係を注視すべきだろう。笹川と岸・福田・安倍の清和会と笹川ギャンブル財団とそこにへばりついている統一教会。安倍銃撃事件で露見したものだが、韓国の文鮮明と朴正熙元軍人大統領と岸・笹川の右翼人脈は、その後にワシントンにまで及んでいる。岸田の祖父が岸の満州人脈の一人であることも判明している。菅の父親も満州帰りという。岸田の統一教会排除は、国民向けのお芝居か。

 

<「神の国」の森喜朗、靖国参拝の小泉純一郎、中国敵視政策の台湾独立にテコ入れした安倍晋三>

 この記事を書いている最中に安倍・清和会(98人)が、岸田派、二階派についで派閥解消(2024年1月19日)を決めた。検察と官邸の国民を欺く策略とみたい。看板を下ろしても実害はないのだから。世論の怒りが収まるまでの看板外しであろう。同日夜に参院議員の世耕弘成は、さばさばした表情で記者会見に臨んだ。「厳密な捜査の結果、不起訴になった」とも開き直った。 

 官房機密費の松野博一も、統一教会の萩生田光一も姿を見せなかった。よほど後ろめたかったのだろうが、公正に見て「恩情があふれた検察の対応に西村康稔ら派閥幹部は皆不起訴。言葉だけの反省で議員辞職や離党を決めた議員はゼロ。相変わらずの言い訳と噓会見でやり過ごしていた」といえる。検察も官邸も同じ穴のムジナなのだ。裏金金権派閥は消えない!

 岸田にとっては、伝家の宝刀を手にしたのかもしれない。一転して国民が問われることになった。沈黙は犯罪である。大声を上げよう。軍靴の音を押しつぶす戦いは、安倍・清和会の看板が外されても、神道カルトの改憲軍拡の戦争準備は残っている!

2024年1月20日記