本澤二郎の「日本の風景」(5068)

<袖ヶ浦市林地区から核汚染ごみ+足尾銅山の鉱毒が!?>

まさか!耳を疑った。核汚染ごみ不法投棄事件発覚で大騒動の渦中の高谷・林地区対策委員長らが「近くの外国人経営の日高金属の工場から、足尾銅山の鉱毒と同じ有毒汚染水が垂れ流されている」という驚天動地の事態の発覚である。

 

この黒ずんだ不気味な日高金属の工場内に、関係者以外誰も入れない。大型のダンプカーは、近づくと高くそびえた黒い扉が自動的に開閉する。隣は養護施設だ。最近では、工場からたれ流される有毒汚染水を察知すると、高谷・林の核汚染ごみと日高金属垂れ流しの様子が、即座に対策委員会と両区に報告されるようになった。

住民は現場に駆けつけて、大量に垂れ流されている有毒汚染水を汲み取って撮影し、同時に木更津署の巡査と袖ヶ浦市役所の環境部に連絡した。だが、木更津署の動きは特別に鈍い。千葉県警並みである。環境部の職員は、汚染水を採取する容器も何も持たず、手ぶらでやってきた。

市民に目を向けようとしない警察と小役人は、共に「やくざ」に目を向けているという、信じがたい事情が最近になって分かってきた。無投票再選した袖ヶ浦市の首長は「やくざ系国会議員の配下」として、最近では有名である。

出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれないことを学んだ住民は、最近は堂々と活動するようになってきている。固有名詞を出す機会が多くなるだろう。

この汚染水を目撃した科学的専門官が「これは足尾の鉱毒と同じで、銅線の被膜などを溶かすために、硫酸・塩酸・硝酸の混合液を使っている。これはマスクや手袋をしないと危険すぎる」と住民に警告した。

 

<上岡健司著「親子三代足尾に生きて」を開いて確認>

最近亡くなった袴田冤罪事件の弁護団長・西嶋勝彦さんの友人が贈ってくれた「親子三代足尾に生きて」を開いている。足尾銅山の鉱毒事件は、日本の公害の原点で知られるが、銅の鉱石を発掘し、それを純粋の銅とするために猛毒液を使って、それを大量に河川にたれ流す。そこで恐ろしい人災の悲劇が起きるのだが、背後に明治維新政府による日露戦争対策と軍事利権に目ざとい古川財閥が共闘していた。

 

このあまりにもひどく悪辣すぎる軍事利権ビジネスを敢行した古河財閥は、現在も存続しているが、勇敢な女性記者の身を切る奮闘が世論を動かしている。彼女は、ジャーナリストとして現場を徹底して歩いて取材し、新聞に大連載した鉱毒事件記事は、「松本英子の生涯」(府馬清著)で今日に伝えられている。国会図書館に保存されていないかもしれない。洋学と漢学を体得した神童としても地元では知られている。

 

<反骨のジャーナリスト「神童・松本英子」が不屈のペン>

彼女の生まれは望陀郡茅野村、生家は我が家の自宅から徒歩で10分たらず。房総半島を代表する偉人に違いない。政府の弾圧に抗してアメリカに亡命し、そこで真の平和を確立するための方途は「非戦にあり」と喝破する論文を、アメリカの邦字新聞に次々に発表した。憲法9条が誕生する20年前のことだった。岸信介や安倍晋三ら極右の「アメリカの押しつけ論」は笑止千万である。

 

上岡本を開くと、足尾銅山には監獄署もあった。中国人・朝鮮人の命がかなり奪われている。太平洋戦争では、米兵など連合軍の捕虜収容所としても悲劇が詰まっている。「維新」政府の行き着く先は、とどのつまりは戦争国家の敗北と戦争犯罪などが詰まった地獄の場所としても注目を集めている。

足尾は、鉱毒事件にのみならず、明治維新の悲惨すぎる、かつ知られざる日本が存在している。

足尾の先にフクシマ東電原発が、例によってやくざと札びらで建設されるのだが、311が発生すると、核汚染ごみが房総半島の水源地に不法投棄され、君津の水源地の産廃場には、宇都宮市のそれがそっくり埋められている。放射能汚染地帯になりかねないだろう。

 

<戦争と原発のルーツは岸信介=その先に安倍・清和会が>

ついでに言うと、日本の核原子力発電所に手を出した岸信介は、東条戦争内閣の商工大臣として足尾銅山に押しかけ、銅の生産増に発破をかけていたことも上岡本が暴いている。今の自民党安倍・清和会のルーツは、A級戦犯の岸内閣である。裏金どころか、もっと先の長州の「維新」政府からであったことも分かる。

戦後の日本史は皇国史観などに配慮した、捏造史の可能性が強いかもしれない。安倍の森友公文書改ざん事件は、彼らにとっては日常的にありふれたものかも。日本の歴史の真実が記録される時代が到来するのかどうか。

 

やくざが跋扈する千葉県・房総半島の核汚染ごみ事件と日高金属の足尾銅山鉱毒事件の再現に対して、この国の為政者はどう対応するつもりなのであろうか。ちなみに袴田冤罪事件の弁護団長の西嶋さんは、戦後の足尾の不当首切り裁判においても参加、若き日の西嶋弁護士として活躍し、勝訴の一旦を担った。

筆者に彼を紹介した人物は、渥美東洋ゼミ1期生の黒須順子弁護士だ。彼女も人権派弁護士で大活躍したが、なんと大学3年で司法試験に合格している。今とは比較にならない厳しい試験のころ。「刑事事件なら西嶋さん」とアドバイスしてくれた。立派な人物が近くにいたことに感謝したい。

袖ヶ浦市の水源地汚染の原状回復は、不可能な闘争ではない。歴史を刻む戦いなのだ。

2024年2月8日記(日本記者クラブ会員・反骨ジャーナリスト・政治評論家)