本澤二郎の「日本の風景」(5061A)

<安倍・自民党清和会のガンは森喜朗最後の醜態>

岸信介や笹川ギャンブル財団という戦争犯罪勢力を源流とする国家主義が、天下を握ると、政府は権力主義と利権に走る。他方で、言論の自由を抑え込む。途上国でも見られる政治現象が、体育系の政治屋・森喜朗が日本政府の頂点に立って以降、極端に右ブレ(極右片肺内閣)の日本へと転落してゆく。

日中国交正常化の1972年体制が破壊され、森が「神の国」宣言すると、交代した小泉純一郎内閣は、公然と戦争神社・靖国参拝を強行して世界を驚かせた。森・小泉と安倍晋三による政権の玉転がしが始動し、公共放送のNHKは安倍直結の女性記者を侍らせて、日本国民の目と頭を改造・洗脳してゆく。

 

以上の流れが分からないと、清和会の史上最大の不正と腐敗は理解できない。昨夜のネットで写真週刊誌の「フライデー」が森特集の記事を流したと報じていることを知って、本日、こうして反骨ジャーナリストの森特集記事を書かねばならなくなった。

 

清和会の創設者は、岸派を継承した福田赳夫だが、岸は娘婿の安倍晋太郎(晋三の父)のことばかり考えるため、岸とはギクシャクすることが少なくなかった。だが、岸を信仰の対象にするような森が政権を担当すると、自民党内の戦争勢力で知られる神道政治連盟が息を吹き返した。日本の侵略戦争は財閥と国家神道と教育勅語によって完結したという史実を知らない日本人が少なくないということも、清和会の復活を可能にした。体育会系は一般に思考する能力が十分といえない。単純である。読書もしないので歴史を知らない。権力を悪用し、利権あさりに突っ込んでゆく。1月1日には地元の能登半島の大地震に対して、森も配下の体育系知事も右往左往して、自衛隊の活用さえも気付かなかった。二人とも姿が見えなかったほどだ。

 

<「5人衆を守れば俺も生き残れる」と醜態さらす>

実際は、崩壊寸前の清和会存続に奔走していた。「清和会を守れ」であって、国民の異常な政治不信について目を向けない。「今だけ自分だけカネだけ」の森喜朗だった。

大混乱の安倍・清和会になすすべを知らない。自身の不起訴を勝ち取ると、派閥の存続にのみ醜態をさらしている。背景には検察審査会で起訴される可能性が高い。そのための布石といっていい。

 

現在の森は「ともかく5人衆を守れ」に一点集中して岸田文雄にまとわりついていることが発覚した。

「この利権政治屋は、日本政治のこと、自民党のことなどどうでもいい。野となれ山となろうがどうでもいい。単純明快な男。かわいいのは自分だけ。自身の政治力を温存させるために5人衆を除名させない、議員辞職させない。それだけだ」と周辺はささやいている。スポンサー・笹川ギャンブル財団もほぼ同じという。

 

「森の心は座長の塩谷立を差し出せばいい。しかし、本人にすれば、自分ひとり首の座に座らされてはたまったものではない。必死で抵抗している。もはや裏金問題を解明するという国民不信の元凶など皆忘れている」というありさまのようだ。

またぞろ下村博文が「安倍はキックバックをやめさせようとしていた」と口走ったらしい。てんやわんやの清和会といっていい。

 

<岸信介・神社神道の「神の国」信者・シベリア五輪疑獄など利権疑惑の総合デパート>

数年前に清和会秘書会のボス格の人物から、詳しく聞いたものだ。彼は「サメの脳みそ」といって、森の腐敗についていろいろと聞かされたものである。

「疑惑の総合デパート」はその通りだが、これまで一度も塀の内側に落下していない。岸を信仰し、その先に神社本庁の「神の国」信仰にたどり着いた。新たにシベリアのエネルギー巨大利権にぶら下がる。安倍とプーチンの度重なる会談は、森の利権戦略が伏線となっていた。結果は、体よくあしらわれて終わった安倍-プーチン会談は、猫がじゃれた程度で終わった。

そもそも首脳会談をゴルフや宴会の積み重ねといった次元で、なにか外交的成果を得ようとする方が無茶である。田中角栄の日中正常化は、盟友の大平正芳が、池田勇人内閣の官房長官・外相時代からの長期間の布石が敷石となって、政権発足3か月後に実現したものである。

森の巨大利権は、シベリア開発と東京五輪である。仲間の安倍も石原もいない森独占利権である。東京五輪利権事件で東京地検特捜部は逃げた。今回の裏金疑惑の本丸であるというのに、再び逃げた。検察の失墜も極まっているだろう。「検察審査会次第」ということなのか。

中曽根康弘も、疑惑から逃げ延びた国家主義者で知られるが、第二の中曽根になろうとしているのか。しかし、今回は世論の怒りと追及は、数百倍である。逃げられるのか。

 

<「車いすで高級老人ホームでステーキ三昧」の報道も>

今の森は、高級老人ホームで優雅な生活を送っていると写真週刊誌が報じたとされる。車いす生活は、世の中を欺くポーズとの見方もある。車いすというと、言論界に籍を置いている読売の渡辺恒雄を思い出す。

読売グループOBの評価は「もう終わっている」と解説している。老いてますます盛んな人間は、そう多くはないのだろう。森は「大好きな高級ステーキで体力をつけている」というのだが。精神は間違いなく病んでいる!

2024年2月1日記(日本記者クラブ会員・反骨ジャーナリスト・政治評論家)