本澤二郎の「日本の風景」(5060)

<首相・岸田文雄君に諫言=護憲リベラルに舵切れ!>

幼いころから歌に歌われた「水も清きふるさと」は、最近では汚染されて安心して水も飲めない。房総半島の水源地にも放射能・核汚染ごみが不法投棄されている!それを放置する環境省と千葉県と袖ヶ浦市!

既に自民党清和会は崩壊した。対極の護憲リベラル・宏池会政治の出番である。悲しいかな宏池会を知る言論人も姿を消した。不肖・反骨のジャーナリストが、総理大臣・岸田文雄君に諫言するしかなくなった。

ずばり腐敗した極右・安倍と菅の財閥に目を向ける政治から、国民に目を向ける護憲リベラルの政治に舵を切る時である。このままだと民衆も国も衰退し、とどのつまりは滅ぶ!この国の主人公は国民である。

 

<安倍はいない・清和会も崩壊した=堂々と国民に目を向けよ>

岸田君、世は21世紀だ。武器弾薬の中世ではない。戦前でもない。もうA級戦犯の岸信介の孫は、この世から姿を消した。「神の国」だとほざく利権屋の森喜朗も、事実上いない。亡霊など官邸にはいない。堂々と主権者に目を向けた政治に舵を切って、未来を生きる若者らに希望を与えてほしい。ツケを回す財閥一強政治を返上する2024年度の予算を編成しなければならない。

 

政権を取ろうとしないような野党も、安倍の腐敗について真相を暴く徹底追及をしてほしい。安倍の時代にたくさんの人が命を奪われている。赤木俊夫さんだけではない。気になるのは、60兆円のひもつきODA利権。マージン3%だとすると、集金パーティー巻裏金どころではない。脱税のための秘密口座がいくつもあるだろう。

いまも安倍利権にぶら下がっている腐敗した言論人が、ユーチューバーとして暗躍している。フジサンケイや読売新聞は大丈夫か。

 

今こそ安倍の桜・加計・森友など数々の不正腐敗を解決するべきである。麻生太郎や菅義偉を議会で証言させるべきだ。国政調査権を行使せよ、である。安倍の政治団体を相続した昭恵の国会証言も不可欠である。その時に、政権は自公維から野党に熟した柿のように、確実に落ちてくる。

 

<岸田君に贈る言葉>

1972年の春に宏池会を担当し、軽い足腰を駆使して池田勇人が吉田茂の自由党を継承して、護憲リベラルの宏池会を創設した。信濃町の池田邸で満江夫人の麦飯を御馳走になった思い出もある。娘婿の行彦さんも一緒だった。彼はA級戦犯の岸内閣が強行した60年安保の時、国会デモの常連だった。加藤紘一も。

筆者は宏池会の政治理念を知ろうとして、同会二代目の前尾繫三郎系の黒金泰美や小川平二の部屋を足しげく通った。黒金は池田内閣の官房長官、小川は信州の名門・小川平吉の次男。

次男平二が東京帝大を卒業する場面で「満州鉄道に就職したい」と父親に話をすると、政友会の大立者で知られた平吉は烈火のごとく怒った。「冗談を言うな。他人の家に土足で上がり込んでいる企業に就職するなどもってのほかだ」と一撃を食らわせた。平吉は孫文の友人だった。孫文の「敬天愛人」の額が平二の玄関にかかっていた。

 

岸派には満鉄など中国侵略派が集まったが、対極に位置した吉田派には、歴史の教訓を知悉した戦後派官僚が結集していた。世界に冠たる日本国憲法は、吉田内閣の下で誕生している。護憲リベラリストの宏池会である。

 

黒金は「宏池会は国民の総意を政策に生かすことを政治理念にしている」と駆け出しの記者に語った。武器弾薬の自衛隊に対して「オモチャを欲しがって困ります」と東京帝大の秀才は、殺人目的の武器を否定していた。彼は大変な読書家だった。小川も。それに紳士だ。横柄な態度や傲慢なそぶりなど、彼らからは予想できなかった。二人の秘書もよかった。何度も事務所に足を運んだ。A級戦犯の岸グループとは水と油。当然とはいえ、宏池会の存在が自民党政治を存続させたものである。

「何とか宮澤喜一の内閣を作りたい」と晩年の黒金は弟のように宮澤支援に傾注していた。

小川の姉・ことさんは、宮澤三兄弟の母親。平吉の長女だ。大変庶民的な女性で、90歳になっても電車で買い物をして、物価の動向を息子である喜一首相に伝えていた。

息子三人を、東京帝大法学部に入学させた手腕を直接取材したものである。確か次男の外交官は、初代の中国大使になった。


 

宏池会政治は、歴史の教訓を体した、主に国に奉仕する秀才組と津島文治のような資産家によって成り立っていた。児玉誉士夫や笹川良一ら右翼暴力団と連携する岸・福田派と全く違った。宏池会の政策ブレーンの安田正治は「うちにはやくざ暴力団はいません」と駆け出しの記者に何度も繰り返した。

 

新聞人は、国民の思いを背景に権力を監視する使命を帯びて、日本の民主政治の実態を国民に伝える職業である。読売などは、国家主義者の中曽根派や福田派の財閥向けの新聞づくりに徹してきた。その時代も終わったとみたい。

 

宮澤は初のポスト中曽根の自民党総裁選で、中国の漢籍から「中原に鹿を追う」との文言を用いて、さらに「核兵器の時代は核を使用できない。よって日本国憲法9条はいまや光輝を放ってきた」と喝破した。宮澤を紹介してくれた小川は「彼は護憲リベラル。座談の名人」だと。

 

黒金は「宮澤の不人気の原因は英語使い」とこぼしていたが、政権を担当すると、米国のブッシュらとの会談に通訳の出番はなかった。母親によると、小学生のころから米人の家庭教師をつけて、本物の英語を学ばせてきた。そのお陰である。

 

宏池会落第生の岸田文雄は、多少は親類の宮澤から政治の手ほどきを受けている。福田の倅の康夫もそうだが、今もそれを実践して森や笹川の軍門にはまっていない。岸田は康夫に学ぶべきである。

 

だが、いまや岸田も安倍・極右の日本会議や清和会の桎梏から解放された。晴れて宏池会の護憲リベラル政治を実践する好機を手にした。恐れることなく「出過ぎた杭は打たれない」を実践するしかない時である。公然と気を吐く春を迎えている。梅も白い花を咲かせ始めた。岸田君の采配を、しばし見聞することにする!

2024年1月30日記(政治評論家・反骨ジャーナリスト)

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