本澤二郎の「日本の風景」(5165) 

<恐ろしや自民党改憲軍拡支援の外務官僚の憲法軽視体質>

元外務官僚が書いた本の一節が気になった。そこにこんな悲しい気になる記述を見つけた。「外務省は社会の公器だ。この激動の時代に日本の国益に直結する外交の担い手である。そして、言うまでもなく納税者の税金で支えられている。次官以下、急速に進んでいる士気の低下、組織としての機能不全、それらがもたらす外交の劣化を黙って見過ごしてよいのだろうか」!

 

外交の劣化とは?岸田外交そのものではないのか。イスラエル寄りの上川陽子も心配だ。この言葉が事実であれば、日本国民は哀れであるが、確かにその可能性を否定できない。「集団的自衛権の行使は憲法が禁じている」という歴代内閣の国是を覆し、米国の戦争に参戦する自衛隊に大変革させたのも、安倍・清和会の意向を受けた外務官僚の仕業だった。

 

官僚の人事権を官邸が牛耳るようになった安倍・清和会政治の下で霞が関は死んでしまった。菅義偉と安倍晋三の罪である。安倍の悪行のすべてを官房長官だった菅が強行した。安倍政治の共犯者が菅である。10年前から外交の本陣である霞が関は、死の官僚街に変質していたのだろう。外務省だけではない。官邸の悪い意向(閣議決定)が即座に具体化するようになった。真っ当な官僚不在の日本に変質させた安倍と菅の罪は重い。

 

「誰がやっても同じ」という日本人は、猛省してもらいたい。岸田内閣の日々の日程を見れば、ほとんどが役人ばかりである。国民の声に耳を貸さない官邸である。

 

<外交に無知な穏健な中山太郎・外相就任で改憲派の頂点に>

A級戦犯の流れを汲んだ清和会について、正直なところ同会議員との接触は、相手をよく選んで取材活動をしてきた。元小児科医の中山太郎の事務所には、よく顔を出した。彼は清和会議員の中で穏健派で知られていたし、それでいて御大・福田赳夫の信頼も厚かった。母親のマサは、池田勇人内閣の厚生大臣として知られた。

それに秘書の有澤志郎君がよくできた人物で、未来の政治家を約束させる器だったことも、中山事務所を頻繁に訪問した理由だった。

彼とは「中国のニューリーダー」(駿しゅん堂出版)を書いた思い出もある。

ところが、海部内閣で外相に就任すると、突如として改憲を口にしだした。「日本の常識は世界の非常識」だと?外務省のワルの言い分に染まってしまったのだ。ちなみに、維新の初代代表の父親は、岸信介の盟友・笹川良一の運転手。笹川はギャンブル財団で知られるが、清和会や統一教会の黒幕的存在でもある。恐ろしい正体が見て取れる。北京にも太いパイプがあるようだ。維新の現代表が中山太郎の運転手だったことは、最近になって知った。

まさに動乱の日本を象徴しているようで心配この上ない。

 

<魔人が住む霞が関=軍事力が外交に不可欠=9条は非常識>

ソ連が崩壊した直後に友人らと東欧諸国を歩いた。その時にある日本大使が「武器を持たないと外交は出来ない」というボヤキの声に驚いた。

中山の変節と外交官の本心は一致していたのである。そうしてみると、彼らは公務員試験で憲法を学んで任官したはずだが、悪しき先輩の影響を受けて改憲派となり、無知な国会議員を洗脳していたことになるだろうか。

 

外務省は、歴史の教訓も憲法前文と9条の非戦論を放棄した外交官の住み家となって、無知蒙昧・憲法を読んでいない政治屋を簡単に篭絡していたことになろう。

 

<外交官が歴史の教訓を否定=皇国史観に傾倒=官僚失格者>

首相を歴任した文人宰相の大平正芳は、厳然とした護憲リベラルの人だった。盟友の田中角栄が岸の攻撃をかわすため、一度だけ改憲論をぶった。大平は全く動じなかった。「そんなに重い荷を通せるほど橋は強くない」といって笑っていた。

右翼の攻勢はどこ吹く風だった。自民党の権力抗争の核心の一つが、岸の改憲・再軍備の財閥支援の戦前派と、吉田茂の護憲戦後派の争いだったことは、国民はほとんど知らない。前者は国家神道・皇国史観・教育勅語を後生大事にしている。まさに歴史を繰り返そうというのである。

1972年の日中国交正常化の大平・田中連合の歴史的な実績を、森喜朗以下の清和会政治によって逆転させられてしまった。油断すると、歴史を繰り返そうというのだ。

過去の過ちに盲目すぎると、現在も未来も見えない。清和会政治を判定すれば、一目瞭然だが、それに従属するだけの劣化した日本外交にも、問題の根が潜んでいたのである。

 

<危うい戦後の日本外交=大平・田中外交を否定した安倍・清和会と公明党・太田昭宏の一大密約>

清和会の創設者・福田赳夫は、等距離外交を実践している。岸の意向に従わなかった。晋三の実父・晋太郎外相も改憲ラッパを吹かなかった。晋三は完璧に岸の遺言に従った。

原因は、公明党創価学会の太田昭宏が安倍内閣の国交相になったからである。太田は安倍の意向にすべて従った。学会も太田に従った。池田大作はすでに過去の人だった。太田と安倍の深い深い関係が、いまだに明らかにされていない。太田への謝礼を追及することが極めて重要だろう。むろん、大金が動いている。山口も事情を知っているだろう。自公連立の秘密のカギを握っている太田と山口にメスを入れないと、安倍の改憲軍拡路線が見えてこない。太田と安倍の仲を暴くことが何よりも必要であろう。強く指摘しておきたい。反学会グループはどうか?太田の動向が注目される。

日中関係は安倍と太田の時代にほぼ完璧に崩壊した。この時点で、池田の日中友好路線は、完全に消滅した。太田の裏切りによる日中関係の崩壊は、まさに日本政治の盲目の時代を確実なものにさせた。渡辺恒雄の役割も気にはなる。政教分離を含め、信濃町の研究はまだ未知の分野である。

2024年5月15日記(茅野村の憲法仙人・日本記者クラブ会員)