(妄想のひとりごと)


昨今、お騒がせの日本学術会議。
否応がなしに私の目にも飛び込んでくる。


中国を擁護か。「千人計画はデマ」というデマを流す日本学術会議
https://www.mag2.com/p/news/469312


事の真相はわからない。
真偽はさておき。


今なお、われわれが現在の生活を保てているのは、「武士は食わねど高楊枝」の精神があるからかもしれない。


われわれは貧困化が止まらない。

何をすべきかがわかっていても貧困化が止まらない。



現在、われわれ日本を取り巻く大きな外圧には、
①IMF・世銀配下の財務省、
②中国共産党、の2つがあるであろう。

①に関しては、貧困化政策の大きな柱として、消費税増税、少子化推進の2つがある。



IMF・世銀に乗せられた国の末路を見てもわかるように、弱体化させて外資が買収する流れとなっている。


 

米紙「日本の消費増税は大失敗」一方、IMFは15%まで増税を提言
https://www.mag2.com/p/news/440929

「水道はすべて民営化する」麻生太郎の腹の内と、日本を食い潰す外資の正体
https://www.mag2.com/p/money/312562

貧乏人は水を飲むな。「水道民営化」を推進するIMF、次のターゲットは日本
https://www.mag2.com/p/money/10990



デービッドアトキンソン氏の提案(中小企業統合・淘汰)も、突き詰めれば外資が買収しやすくなるということなのだろうか。

また日本搾取か。菅総理が心酔する“知日派”アトキンソンの危険な正体=今市太郎
https://www.mag2.com/p/money/971606



このような状況で、
われわれ教育者にできることは何か

→「武士は食わねど高楊枝」の教育だけである。

貧しくとも、外資、中共に魂を売らない人材の育成だけである。


そのためには、繰り返すが、「目的意識の習慣づけ」である。

「なんのために」という目的思考を国民が共有することだけが、あらゆる誘惑、権力に囚われない方法である。

目的思考は、人々に、大きな目的を達成するための選択をおこなわせ、あらゆる欲望やしがらみに打ち克つであろう。




 

少子高齢化で未曾有の国家崩壊へ。落ちゆく日本を救うたった1つの方法とは?=鈴木傾城
https://news.nicovideo.jp/watch/nw4410347

自滅へ向かうアジアの星日本 少子化こそ、わが国未曾有の国難だ/中村功
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784884718145

 


補足)
『自滅へ向かうアジアの星日本 少子化こそ、わが国未曾有の国難だ』/中村功著
によると、

子供手当というのは、年収1000万以下、17歳以下支給で、8兆円近くが使われているそうだ。

法人税課税、企業内部留保課税、受取配当金課税(自社子会社からの持ち株会社への「配当金の益金」への課税)等で、先の8兆円と合わせて、20兆は捻出できるらしい。
※H27年度より100%の持ち株会社から受け取った配当金には課税されない。
※大企業は株式購入を増やし(2016年で470兆円保有)、多額の配当金収入を得ている。

■私の案
→子供手当増額のみ(月3万→7万)
住宅補助や結婚祝い金のようなものはいらない。


上記、法人税制をみても、財務省は基本的に「貧困化政策」を推進している。


 

 

窪塚洋介、伊勢谷友介容疑者を擁護の報道に反論「皆でよってたかって石を投げている…その姿が気持ち悪い」

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f74ca26511229c8e7d3be7ca90c170b2e0f0b86



ヤフーコメントはおおむね、窪塚氏に否定的なコメント9割、窪塚氏に同意のコメント1割程度であろうか。

同様に、大麻(医療用大麻)の容認派も1割程度いると思われる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7221c06cddd17e84b9b481d0b2c86d2f53d7a62


ここでの私の関心は、ヤフーコメントの9割程度が、法や慣習的な判断(価値観、思考)を持っているということである。

特に気になったのが、(否定的なコメントに多いが)
「罪を犯したのだから・・・石を投げられて当然」、や「常識が欠如している」といったような、コメントである。

法や、慣習、常識といった価値観がマス(多数派、大衆)となることは、非常に危険と言わざるを得ない。

「常識」とされているものが、「実は常識ではない、のではないか」という考えをもったとき、その「常識」を主張するマスが、激しく非難を浴びせてくるだろう。

なぜなら、その「常識」を主張するマスは、それが「正しいか正しくないか」という価値観なので、「まちがっているものは(絶対的に)まちがっている」とするからである。

「まちがっているのだから議論の余地なし」となる。


「常識」が「常識」でないことに(運悪く)気づいたとき、それが「議論になる土壌すらない」のが、法や慣習で判断する人がマスとなっている社会である。



なぜ日本人はそうなのか。
日本人だけがそうなのか。


私は大学時代にたまたま読んだ、『ウエスト・ポイント流 最強の指導力 ―アメリカ陸軍士官学校ウエスト・ポイントはリーダーシップをどう教えているか』により、モラルジレンマを知った。
その後、荒木紀幸先生、ローレンス・コールバーグ氏を知った。

アメリカが軍人尊重の社会で、なおかつ、ウェストポイント出身のリーダーたちが社会に影響を与えているのなら、日本とは異なる状況になるだろう。
日本より「道徳性の認知発達」がおこる社会なのだろうか。


この日本の状況を打開するものはあるのか。


前回のブログで、「マクロの思考は道徳性の認知発達を伴う」と、書きました。(「東大思考」の書評レビュー)


文科省は「思考力・判断力・表現力」を課題に掲げ、学校は、「言語活動の充実を図る」取り組みをおこなっていることと思います。



※思考力,判断力,表現力等を育成する観点から,基礎的・基本的な知識及び技能の活用を図る学習活動を重視するとともに,言語環境を整え,言語活動の充実を図ることに配慮することが求められている。
 加えて,新しい学習指導要領では,言語に関する能力を育成する中核的な国語科において,「話すこと・聞くこと」,「書くこと」,「読むこと」のそれぞれに記録,要約,説明,論述といった言語活動を例示した。

学習指導要領「生きる力」
第1章 言語活動の充実に関する基本的な考え方
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300857.htm



「プログラミング」、さらに「論理国語」というのも出てきました。


必修化された「プログラミング教育」の真の目的
学ばせたいのは社会で必須の「論理的思考」2020/09/12
https://toyokeizai.net/articles/-/372911


2022年から始まる新学習指導要領
国語は現代文が新たに「文学国語」と「論理国語」に変わる
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/24506


【出口式「論理エンジン」の考え方】2020年1月16日
今までの現代文や国語では、子どもたちにどんな力をどのような方法で鍛えるのか、そのあたりが曖昧で、教師の恣意的な判断に任せられた結果、現実問題として現代文という科目がほとんど機能していませんでした。
https://woman.excite.co.jp/article/child/rid_Valedpress_8b1add4f12073a8985727c029709468ad5c855c2/



これらの取り組みが実を結ぶことを期待したい。



「そもそもなんのために社会のルールがあるのか」、という「ゼロベースでの根源的な問い」を学生時代に通過せずして「道徳性の認知発達」はない。

個と公(社会、国家など)との関係について、学生時代になにも考えることなくスルーすると、「公共の福祉」の概念の理解も浅く、法や慣習にしたがって判断する大人になる。

それがマスになると、以前の常識と異なることは、それがマスになるまで変えられないことになる。
それまでの常識と異なるものへの寛容さがないどころか、議論すらタブーになる。


「マクロの思考は道徳性の認知発達を伴う」
思考力を養う目的はそこにある。

 

書評レビュー『東大思考』西岡壱成著

 

「東大思考」というネーミングに日本の病根が表れている



団塊ジュニア世代の塾経営者です。
ネット記事で興味を持って、「東大読書」「東大作文」そしてこの「東大思考」をまとめて買いました。
「東大読書」から2年ほどたっているので、併せて買うと、今の西岡さんの思考がわかるのでおすすめです。

私から見ると、目新しい内容ではありませんでしたが、西岡さんの知名度を生かして、ぜひとも普及させてほしい内容です。
※多くの東大生に共通している5つの思考回路「原因思考、上流思考、目的思考、裏側思考、本質思考」を解説しています。


私の場合は、大学時代に読んだ『ディベートで説得・交渉に強くなる本―営業・会議・スピーチ (通勤・通学電車で学ぶ) 』土山信人著、をきっかけに目的思考を知りました。

西岡さんの思考のなかに、アドラー心理学があります。
経営領域なら、バリューエンジニアリング、ブレイクスルー思考など、心理領域なら、アドラー心理学(目的論、原因論)を知ることになるのは、目的思考に気づいた人の帰結のように思います。

西岡さんは目的思考に早く気づかれたようですが、東大生にかかわらず、一線級の社会人なら、誰もが思考のベースにあるのが目的思考です。

にもかかわらず、キャリア官僚の利権に支配された現在のおぞましい日本の姿をみると、病根は相当、根深いようです。
マクロの思考は、道徳的な認知発達(利他性の発達)をともなうので、ふつうは利権に邁進しないようにも思われるのですが。

他のレビュワーも指摘のとおり、タイトルの「東大〇〇」というネーミングがひっかかるとおもいますが、そのネーミングに日本の病根が表れているようにおもいます。
つまり、「東大思考」と銘打たなければならないくらい、強制圧力で無思考な人間になる教育が現状にあります。
学習指導要領のインプットだけが絶対的な価値を占めていて、無批判に従属するのが今の学校教育です。
ヒエラルキーの頂点にあるのが「東大」で、いまなお、キャリア官僚の特権ヒエラルキーを支えています。


西岡さんには、教育をかえてもらいたい期待があります。
おすすめの本です。




追記)
西岡さんの5分類の思考(視点)は妥当なのか、ミーシーなのか、と考えますと、私の考えは以下の2項対立の整理になります。

「目的」と「原因」の視点(「未来」と「過去」の視点)
「自分」と「他者」の視点(「ミクロ」と「マクロ」の視点)
※ミクロ:自分の視点、小さな視点
※マクロ:他者の視点、大きな視点
客観、俯瞰、上流、大局、裏側、背景、本質…など


 

 

ブログでの追記)

思考とは自問自答です。

※文章読解するとき(読書するとき)は、上に書いた視点を持って、自問自答「ひとり問いかけ」をすると、書いていることをうのみにせず、考えながら読めるようになります。


ひとり問いかけの例)
・「そもそもなんのために」書いたの?
・「そもそも」なにが言いたいの?
・「要するに」なにが言いたいの?
・「ひとことでいうと」なにが言いたいの?
・なにが「目的」なの? 
・〇〇って「本当に」そう?
・「なぜ?」(「なんで?」)
・どういう「背景」があって書いたの?
・「いつ」のはなし?
・それって「だれが」言ってるの?

英語4技能で(読む書く聞く話す)なら、まずはリスニング・リピーティングからになると思います。

基本的な考え方としては、右脳勉強(高速大量インプット)を取り入れることになります。

従来は「文法、読解問題を解く」などの、「暗記して理解して勉強する」という、いわば左脳勉強に偏っていたと思います。

「勉強のしかた」でよくいわれる「エビングハウスの忘却曲線」を参考に、「高速インプットの反復」を取り入れて勉強することは、右脳勉強を取り入れているといえるでしょう。



一方、国語で4技能をやるとなると、英語4技能とはまた違った問題にぶち当たります。

英語と違い、日本語は生まれたときからかなりのリスニング、リピーティング量をつんでいます。
見よう見まね、聞きよう聞きまねで、論理的でないにしろ、ある程度書いたり、話せるようになっています。

そういうわけで、書くことから始めるわけですが、いきなり「起承転結」問題にぶち当たります。
まったく論理的な思考にならず、国語学者でなくともおかしいと思えます。

参考)
起承転結『はじめ』『つづき』『かわり』『むすび』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E6%89%BF%E8%BB%A2%E7%B5%90

 

 



高松正毅氏
起承転結が真に問題であるのは、それが「役に立たない」からではなく、思考に大きな影響を与えるためである。


後正武氏
起承転結は修辞の技法 (レトリック) であり、論理的な正しさとは関係が無く、むしろ修辞に影響されることにより論理的思考の障害になる。



言語は思考に大きな影響を与えます。
言語は思考そのものであるといえます。



参考)
福嶋隆史氏
国語力とは論理的思考力である。
論理的思考力とは、言いかえる力・くらべる力・たどる力である。
私たちは、論理的思考力を使って書き、論理的思考力を使って読み、論理的思考力を使って話します。
https://www.yokohama-kokugo.jp/essence/




とりあえず、現存のフレームを「論理的思考となるように」変えなければならないでしょう。

このことは、大げさに聞こえるかもしれないが、国力(社会の力)にも関係することのように思えます。

「論理的思考ができるか」は、民度(多面的で深い思考ができるか)にも関係してくると思います。




文章構成の問題だけでなく、文のフレームに関しても、「5W1H」というのが普及していますが、ただ事実を漏れなく伝えるツールとなっています。

そもそも、「なぜ(why)」と「なんのために(For what)」は同じではありません。
「なぜ」が簡単な因果関係、欲求で答えられるのに対し、「なんのために」はゴール(意図する最終目的地)を表します。



参考)
5W1H
https://ja.wikipedia.org/wiki/5W1H

 

 




【FAって何⑫】「何のため」と「なぜ」の違い
https://www.fa-ken.jp/blog/todays-function/why-or-what-for/

「なぜ」ではなく「何のために」
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/1999/naze.html

 

 






「4技能」を教育で強化するにあたって、まずはここから変えなければならないでしょう。




参考)
全ての「頭がいい人」に当てはまる唯一の共通点
西岡 壱誠
https://president.jp/articles/-/32338

 

 

塾をやっていながらにして思うこと。
 
国数社理英で競わせないといけない社会システムだから、仕方なく国数社理英を教える。
 
5教科はなぜ国数社理英なのか?
英語は副教科ではダメなのか?

文科省主導の学問(国数社理英)は、選別の手段として発展し、それら自体を勉強することの意義をゆがめている。

大学入試改革で、一般入試以外の選抜を増やす方向ではあるが、未だ国立大学協会の目標とする入学者割合30%には届いていない。
私立学校を中心に、探求学習をやる学校も増えてきてはいるが、まだそれをやる意義すら浸透していないのが実情であろう。
 
私の考えは、
遅くとも、中学からすべて自由選択科目でもよいと考えている。
 
前回投稿内容の、テーマ投稿、テーマ討論、文理融合の探求学習(自由研究)メインの学びでよいと思う。
 
もちろん書くこと、話すことに関して現状、ちゃんと教えていないだろうから、テーマ投稿、テーマ討論の前に、英語4技能だけでなく、日本語4技能もちゃんとやるべきである。
 
それらは、現状おこなわれている、「短時間の試験選抜」をおこなわないことに意義がある。
実績を評価するのが目的である。(いわゆるポートフォリオ評価、AO)
特に短時間で内容のない小論文を書かせる試験など、無駄でしかない。
 
近年、関学など、高校から大学の専門領域の勉強をおこなうところもある。
 

自由選択科目として、早くから大学の専門領域科目をやることで、前回のブログに記した、「小中高と長年、英数国理社で子供たちを競わすことは多大なる社会ロスである。」のソリューションとなるであろう。
 
上記記事で「キャリア官僚絶対主義制度」の弊害について書いてました。
 
 
 
選挙に出て教育改革を訴えたい
公務員制度改革②(文科省)
 
すべての国民が等しく同じことを学ぶのは、ある程度の意義があるのは認めるが、現在は多様性を完全に消失させるまでに等しく同じことさせている。
 
東大を頂点とするヒエラルキーは今なお存在し、モノカルチャーになっている。
※社会に多様な教育で学んだ多様な人材がいない。
※なんでもネットで調べられる社会であるにもかかわらず、知識偏重でクイズ王を頂点とするかのようなヒエラルキーがある。
 
専門職化をどの年齢からやるかは議論の余地があるが、少なくとも高校からは分けるべきである。
中学校から、小学校高学年から、なども考えられる。
望ましいのは「各学校が専門分野を競う」ことであり、「カリキュラム、指導形態、教材等を縛って自由裁量を認めない」のは最も望ましくないことである。
※小中高と長年、英数国理社で子供たちを競わすことは多大なる社会ロスである。
 
国が「何ができる子どもを育てるか」も、全国一律で決める事項ではない。
文科省の「課題発見解決能力」を備えたグローバルリーダーを育てる試みはよいが、それを全国一律でやらせることでもない。
AI発展後の社会において、専門分野の知識・技能に加えて、表現力(書くこと、話すことなど)が、重要なのは言うまでもないが、それを全国一律でやらせることでもない。
 
クラスや学校の枠にとどまらず、地域、全国レベルで書くこと、話すことを研鑽する場があればよいと思う。
(※テーマ投稿、テーマ討論など)

テーマ投稿、テーマ討論は生半可な知識でできることではなく、それをやるためにはそうとうな勉強(調べる、自分なりの考えをもつ)が必要となる。
教科書(正答)を覚える勉強より、はるかに有益である。

探究学習事例下記参照)
 
 
資産運用でも1つのやり方(1銘柄、1通貨)でやることがいかに脆弱かは言うまでもないのだが、それを全国一律にやらせて人材の多様性(ダイバーシティ)をなくしているのが今の日本の教育である。

補足)
※文科省の英語の勉強は、従来は左脳だけを使わせるような勉強(暗記と理解)であったが、ようやく右脳勉強も取り入れるようである。(2021年より教科書にQR音声が導入。スマホでリスニング、リピーティングが可能になる。)
東京都知事選に触発されて政治的なことを書きたくなりました。
供託金300万払って夢を語る人たちはすごいと思います。
なかなかいろんな方がいておもしろいです。
政見放送がYouTubeにのれば元は取れるのか?・・・。
 
今回のコロナ対応で政治家、お役人の仕事っぷりがクローズアップされました。
わが吉村知事はがんばってますが、国、霞が関の人たちはどうなんでしょう。
 
昔、自衛隊にいたときは、「こんなので大丈夫か?」と思いながら働いてました。
いつも「これはダメだろ」と思いながらも、「自分ではどうすることもできない」、「いつか誰かが何とかするだろ」という、なかばあきらめの境地でした。
かれこれ20年位前の話ですが、今もきっとそのままなんでしょう。
業務を改善する理由もないですから。
 
もし、一泡沫候補として都知事選に出て何かを訴えるとしたら・・・、公務員制度改革を訴えます。
一昔前は、みんなの党が公務員改革を訴えていましたが、今、それを言うところは聞かなくなりました。

参考)
「骨抜き」公務員制度改革法が可決!大熊利昭衆議院議員が明かす「内閣人事局は絶対機能しない」2014.03.19
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/38710?page=4
 
国家公務員制度の概要 内閣官房
https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/jinji_gaiyou.html

国家公務員採用情報ナビ
https://www.jinji.go.jp/saiyo/saiyo.html

結局、骨抜きにされた感じです。

公務員制度改革で重要なことは2点。
①「(新卒)採用試験の廃止」と
②「一般職(総合職)の廃止」です。
 
この2点の維持が現職公務員にとって最も重要なことであり、この2点に触れられなければ現状維持となります。
成果主義、能力主義、コンピテンシー評価、360度評価などをいくら取り入れても、それは「改革をやってるかのような演出」となります。
 
現職公務員にとって大事なことは2点、
①外部の血を入れない
②外部の血が入ったとしても、その者たちをアウトサイダーに据え置く。
です。

「そもそも自社の人材を試験で決める社長はいない」です。
採用試験とは上の者が下の者に課すものであり、年功序列システムのなかで、特権ヒエラルキーを維持するのに欠かせないものです。
学校という特殊な世界ではそれは許されますが、会社組織でそれをやると、上下が固定されます。
いわば製造業型の、上の者が、(未熟な)下の者を育てるシステムです。
 
日本で一般的な新卒採用、それが当たり前になると、誰も疑問を持たなくなります。
採用試験が仕事に直結しないもの(一般教養のようなもの)であればあるほど、それが現職公務員の地位の保全に役立ちます。
ゆえに、学生は業務に直結しない勉強をすることになります。
自ら経験してきたこと(採用試験)を下の者に課すことを「伝統」と呼んで、どんな優秀な学生も、先輩の地位保全のレールに乗せます。

それは「科挙」と同じです。
科挙がある国の歴史を見てもわかるとおり、「優秀な人材の採用により、組織を向上させる」目的が欠落します。
地位保全が閥(派閥、学閥)をうみ、はては権力闘争となります。
組織の目的が欠落すると、「体面、体裁、美観、秩序、規律、筋」といったような無意味なものを重視する価値観がうまれます。
 
スペシャリスト(専門職)採用をおこなわないのは、もちろん外部(新入り、中途を含めて)のスペシャリストとの競争にさらされないためです。
プロフェッショナルたちは序列(トップダウン)を破壊します。

上記の改革は雇用の流動化(転職市場の活性化)を生みます。
学生は仕事に直結する、専門的な学習をすることになります。
公務員改革は、現状起こっているあらゆる問題を解決させる可能性があります。
政治家が、公務員改革なしにどんな良案を提示したところで、それが実現する可能性は低いと思います。
 
「評価のバランス(客観的評価、主観的評価)」、「教育のバランス(ティーチング、コーチング)」をテーマにブログを書いています。

市職員の採用について、先週、下記のような記事がありました。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120207/waf12020700400001-n1.htm

客観的な評価(知識ばかりを問う評価)への偏りが解消されるといいなと思います。

前回のブログでも、『国語のできる子どもを育てる』工藤順一著をとりあげ、工藤氏は「本当にすぐれた生徒=すぐれた人間になってほしいとのことから、推薦と小論文で入学してくださいと言っています。」と締めくくっていました。

『国語脳ドリル 作文王』工藤順一著 では、パラグラフ・ライティング(①序論〔主題〕②本論〔理由、具体例〕③結論)の手法での書き方をあげています。
意見文についてもパラグラフ・ライティングの書き方で書きます。


ところで、意見の説得力とは何でしょうか。

同じ意見でも論者によって、「なるほど」と思ったり、そうでなかったりします。

例えば、原発の是非について、ただ「電力不足」の1点から、何度、意見を主張されても、なかなか受け入れ難いものがあります。

電力の受益者、原発の周辺住民、原発の設立、運営に関わる各々の立場、環境の観点、長期的な観点、産業の観点、科学技術振興の観点、軍事の観点等々…、
様々な観点から考えられたことがうかがえる意見ならば、それは「賛成」であろうと、「反対」であろうと、説得力がぜんぜん違ってくると思います。

「Aプラン」か、「Bプラン」かの意見自体の是非よりも、たくさんの観点から考慮されているか(結論が導かれるプロセス)(意見の理由の緻密さ)が重要だと思います。

『The necessary Revolution』Peter Senge(ピーター・センゲ)
などのシステム思考本で、よく「思考プロセスをガラス張りにして…」と書いていますね。



採用試験の小論文でも、たくさんの観点から意見を書くような出題の仕方をして頂きたいです。


聞き手(読み手)は、ただ観点が「多いか、少ないか」というだけでなく、「大きな観点から考えた」かどうか、
「垂直方向(大きい観点、小さい観点)で考えた」か、「水平方向(別次元からの観点)で考えた」かなどを感じとり、「賛同できる意見」か、「つまらない意見」かを判断しているように思います。

それらは、想像力を働かせて、たくさんの観点から日々物事を考えることで得られる力です。


たくさんの観点を小論文に求めることから、認知的発達効果が得られ、欲望のコントロールが効くようになる(ノブレス・オブリージュ、徳が身につく)…というのは、理想的過ぎますが、

たくさんの観点の中から、優先順位をつける過程において、「何が一番大事なのか」、「まず何が言いたいか」、「何をやらなければならないか」(目的、ねらい)が明確になる効果は期待できます。


教育効果で考えれば、英語も小論文や面接で評価して頂きたいです。
実際には評価できる人材が不足しているかもしれませんが、
そうなれば、英語教育は、話すこと、書くことを、より重視するかもしれません。



エリート官僚の登竜門の、国家1種ですら、実用的な英語力は評価されないようです。

参考
http://www.jinji.go.jp/saiyo/shikenA.htm#sougou

甘いのか、厳しいのか。
試験には、「選別以外に目的がない」ということなのかもしれません。


多肢選択式試験は、選別において、公平、効率的であるのは確かです。
しかしながら、人を説得する力は、話す、書くなど、「言葉」を操る能力です。

学校教育で、「話すこと」や「書くこと」が重視されてこなかったことは、つくづく、「評価」が「教育」に与える影響の大きさを感じます。

『国語のできる子どもを育てる』工藤順一著を読みました。

「教育」と「評価」は、建て直しの根幹だと思っています。

読んでいて、国語が最も重要ではないかと思いました。

著者が言うように、国語は数学のように「やり方」に還元されにくく、また思考力を養うという観点からも「書く」ことが大きな役割を持っているように思うからです。
(同著『文書術』を参照)

依然として日本の教育は、単なる事務的情報処理を競わせるだけのものであり、高偏差値=必ずしも優秀ではないという結果が生じ、悲鳴を上げているのが今の大学と日本社会、と述べています。

国語においても、
たくさんの文章をどんどん読ませていくようなことをさせず、重箱の隅をつつくような作業をさせて、せっかく持っている興味や好奇心をつぶしています。
『英語は絶対勉強するな』鄭 讃容、金 淳鎬著、という本がありましたが、英語も国語の学習も状況は同じようです。

唯一の正解だけを求めて、デジタルにかつ条件反射的に「やり方」というプログラムにのみしたがって一問一問、一定の時間内に問題を解いていく。
「自分で解釈せずに、本文に書かれていることだけが解答」であり、本文で書いてあることを時間をかけて考え込んだり、問題意識を感じたり、悩んだりする必要は全くありません。

こうした状況の原因を、著者は「採点という処理ができない、点の下に人を作ることができないから」と述べています。


効率性、公平性の過度の追求だと思います。

評価には公平性(客観)と主観のバランスが大切だと思います。

例えば公務員の評価では、適任者を選ぶという目的に根ざしていなければなりません。
とかく日本では本質、目的を見失い、バランスを欠いている状況が散見されます。
点数だけで評価することをやめて、チャレンジ、改善の評価など、主観的な抜擢もあわせて行うようにする必要があります。

点数だけで評価することから、学力は偏差値=受験学力となってしまい、思考力や自律のない「優秀」な人々に国家を委ねることとなっています。

採点しやすいという理由だけで、指示語の問題のようなものばかりを解かせていたら、趣旨、要旨、テーマ、作者の言いたいこと(意図、目的、本質的なこと)、気持ちなどは、読めなくなって当然です。


リーダーは、ルール、前例の存在しないときでも、本質(目的)を見定めて、自主的に(自律をもって)判断、行動しなければなりません。


今の教育者は、現行のシステムの中での優秀な生徒を作るか、本当に優れた生徒を作るのか、狭間に立たされています。

ちなみに工藤氏は、本当にすぐれた生徒=すぐれた人間になってほしいとのことから、推薦と小論文で入学してくださいと言っています。

なお、麻生中や武蔵中は良問だそうです。
リーダーは優秀でなくてもよい。
それを支えるスタッフが優秀であればよい。

政治家は優秀でなくてもよい。
公務員が優秀であればよい。

震災、原発、円高、諸施策より公務員を優秀にする施策が必要だと改めて思う。

私がかつていた所の自衛隊で聞いた「優秀」の定義には、あきれて物が言えなかった。
組織行動学から再定義が必要。特にリーダー(幹部)について。

その作業に携わるには無力ゆえできない。
一番わかりやすいのはブレークスルー思考であろう。
メジャーだし、これに普及してもらうのが受け入れ可能性からしてベターだ。


仕事はシステムであり、
すべてのシステムには達成されるべき目的がある。


参照:
http://www.bttnet.com/jps/btt.htm
http://www1.harenet.ne.jp/~noriaki/link71-2.html

人間の目的行動を中心としたアプローチ論
ブレイクスルー思考の七つの原則

・ユニーク”差”の原則
 万物にはユニークな差がある。たとえ非常に似た状況でも、目的、それに関わる人間、文化、時代など全てが違う。この事実は「類似問題や事例から解決策を学ぶことには限界がある」ことを教えている。

・目的展開の原則
 目的の目的、さらにその目的を問うという根源的議論をすることにより、本質を捉え、大所高所から解決策を考える。

・未来から学ぶ「あるべき姿」の原則
 激しい変化のため、現代は「過去の延長線上に未来がない」現象が多発している。本質である目的をベースに未来の「あるべき姿」をデザインし、そこから学びながら現状を変えてゆくことが大切である。

・システムの原則
 「万物はシステムである」という認識論に基づき、現状を「あるべき姿」に変える仕組みを作る。

・目的”適”情報収集の原則
 できるだけ多くの情報を得ることが仕事ではない。情報収集は「解決策に関する情報」を必要最小限あつめることで十分である。

・参画・巻き込みの原則
 どんなにすばらしい解決策ができても実行して成果が出てはじめて解決したと言える。問題解決のいろいろな段階で必要な人を巻き込み、「私達の意見」が「みんなの考え」となることが実現への最短距離である。

・継続変革の原則
 解決策は変化そのものである。環境変化に合わせ常に改善、改革しなければならない。




生産管理講座 - VE/VA
ブレークスルー式思考
--------------------------------------------------------------------------------
 問題解決のもっとも効果的なアプローチを提供しているのがブレークスルー式思考である。それは段階的なプロセスではなく、問題とその解決法についての7つの考え方で、次の原則に基づいている。

(1) 独自性の原則
 外観上の類似点のいかんにかかわらず、問題はそれぞれユニークなもので、それ自体の文脈からみたニーズについてまず考えるアプローチを必要としている。

(2) 目的の原則
 拡大する目的への努力の集中が非本質的な側面をそぎ取り、誤った目的への取り組みを回避するのに役立つ。

(3) 次々回解決策の原則
 革新のシミュレーション・モデルをつくり、理想的な目標解決策から逆作業することによって、解決策の効果性を高めることができる。将来に向けて目標となる解決策を持つことは、短期的な解決策に方向性を与え、またより大きな目標を抱かせるものである。

(4) システムの原則
 それぞれの問題はより大きな問題体系の一部であり、一つの問題の解決は必ず別の問題を生む。
解決策がいかなる要素、次元で構成されているか、その枠組みを明らかにしておくならば、その実行可能性と実施は確かなものとなる。

(5) 情報収集限定化の原則
 過度のデータ収集は問題領域の専門家を生み出すかもしれないが、そのような領域について知り過ぎると、それは卓越した代替案を発見する上で、恐らく妨げとなるであろう。情報収集を行うに先立って、常に収集案についての拡大目的を定めておくべきである。

(6) 対人設計の原則
 解決策を遂行したり、利用したりする人々については、前記の5原則に関与させることによって、解決策の案出に密接かつ継続的に係わるようにさせるべきである。また他の人々に対する設計を行うに当っては、解決策を応用しなければならない人々が何分かの弾力性を発揮できるように、解決策に含めるのは重要な細目だけに限るべきである。

(7) 改善時刻表の原則
 解決策の活力を保持するには、道は1つしかない。より大きな目的を達成し、目標とする解決策に向かって前進するための継続的改革プログラムを解決策を組み込んで、進行管理を行うことである。