今敏監督の最期の手紙に思うこと(両親の死やガンで死ぬということについて) | ゆらぎ世代のからだケアサークル「aile(エイル)」主宰 カレンのブログ

ゆらぎ世代のからだケアサークル「aile(エイル)」主宰 カレンのブログ

東京の港区(田町、浜松町)を中心に活動するからだケアサークル「aile(エイル)」を主宰している カレン のブログです。
40代からの更年期前後のカラダやココロのゆらぎを一緒に調えていきましょう。

こんにちは。
自力整体ナビゲーター(自力整体/東京教室)のカレンです。


今日も少し長いです。。。


アニメーション作家の
「今 敏(こんさとし)」さんをご存知でしょうか。

私は、この方が亡くなられてから
この方の書かれた“遺言”を読んで知ったのですが。

先日、膵臓癌で46才の若さで永眠されたそうですが
今年の5月に余命半年と宣告され
7月には肺炎にかかって一両日中しか持たないと宣告され
その後、奇跡的に復活し、8月24日に亡くなられたのですが
その冷静で克明な描写と、そしてちょっとユーモアも交えた
最期の手紙は、何度読んでも涙が出てしまいます。
心残りはたくさんあったでしょうが
残された皆への愛情いっぱいの手紙を読んで
「こういう死に方ができたらいいな」とも思いました。


◆今 敏 オフィシャル・サイト
http://konstone.s-kon.net/ パソコン

※「NOTEBOOK」の 2010/8/25 に書かれています。


先日、矢上先生から「予防医学通信」が
送られてきた時に、


“癌で死ぬのが一番よい”


・・・と書かれていて

「は!?」

・・・と、かなり驚きました。

だって、癌って一番イヤじゃないですか?
いつも死が近くて、ビクビクしながら生きるなんて。

できれば苦しまずにコロッと死にたい!と
思っていました。


でも、矢上先生いわく、


生きている間にやりたいことをやったり
お世話になった人に御礼を言いに行ったり
この世のやり残しを全て片付けられるから


というような内容でした。
ああ、そういうことか、と納得。


私の父は心臓を患って
突然、この世を去ってしまい
残された母や私たち姉妹は
しばらくの間、なかなか元気を
取り戻せませんでした。
あまりに急すぎて、
心がついていけなかったのです。


母はというと、癌の宣告を受け
その後、宣告年数+半年の命を全うしましたが
(母は病名は知っていましたが
 必ず治ると信じて治療に専念していました)
最後の3ヶ月間は、入院し、チューブにつながれ
数多くの投薬によって、体がパンパンで
水ぶくれ状態になり、意識が混濁してからは、
私たち家族にとっては
つらく、苦しいものでした。


お医者様に

「治療しても意識の回復は難しいだろう」

・・・と言われた時に、
母がしょっちゅう「延命治療は望んでいない」と
話していたことを思い出しました。


「こんな状態は母は望んでいなかったのだ」と思い出し
その後は治療ではなく、いかに穏やかに
残りの人生を過ごさせてあげられるだろうか?と考え
緩和ケアのある病院探しに奔走したり、
受け入れ先との面談をしたりして尽力した結果、
広くてきれいな病院に無事に転院することができました。


そして最後の三日間は
(まさか転院して三日で旅立つとは
 思ってもみませんでしたが・・・)
アメリカに駐在中の姉も帰国し
静かな個室で、他人を気にすることなく
家族3人で、ゆっくりと穏やかな時間を過ごせました。


不思議なことに、あちこちにつながっていた
チューブをはずし、無駄な投薬をやめ
その代わりにアロマテラピーを受けたり
全身入浴をしてもらったり
医師の方や看護婦さんが「普通の人として」接してくださると、
パンパンにふくれあがっていた体が
以前と同じスリムな体に戻り、なんと意識も徐々に回復し
笑い声をあげ、何かをしゃべろうとするまでになりました。


夜遅くまで母のそばにつきそう私に

「体調はだいじょうぶなの」

・・・と、がらがら声になりながらも
気遣ってくれた母。


それが最期の会話でした。
病室を出て行く私の姿を
ずっと見送ってくれたやさしいまなざし。
思い出すと今も涙が出てきてしまいます。


自宅での死、に近い状態で
長旅と時差ぼけに疲れてベットの脇で眠る姉と
手をつなぎながら、あの世に旅立っていった母は
たぶん、幸せだったんじゃないかな、と
今でもフト、考えます。



私は、この自力整体に出会って
健康的に痩せ、体調が改善されていったことに驚き
これは皆に教えなくては!と活動をはじめました。

今は、ただそれだけではなく
自力整体を通して、薬になるべく頼らずに
自らが持っている自然治癒力をアップさせることや
予防医学の大切さを伝えながら、
生きていることに感謝し、
関わる人たちとの関係を大事にしながら
楽しい人生を送ることを
一緒に考えていけたらいいなと思いながら
活動を続けていこうとの思いを
新たにした、今監督の“遺言”でした。