百田尚樹さんの新作、「フォルトゥナの瞳」を読ませて頂きました。

百田さんの作品は、これで2回目です。



突然ですが、あなたは他人の『死』が見えたらどうしますか?



主人公:慎一郎は、『死』が迫っている人のことが透明に見えると言う、「フォルトゥナの瞳」を持っています。

それは、言葉にするのが簡単な割に、とても重大で厄介な能力なんですよね。


この人に死が迫っていると分かれば、「助けてあげたい」と考えるのがヒトの性。

いかし、定められた運命を曲げることはとても罪深いことであり、きちんと代償を支払わなければなりません。

慎一郎が誰かの運命を曲げることにより、仕事をなくし行き場を見失った死神は、その大きな鎌を慎一郎に向けます。

つまり、誰かの命と引き換えに、自分の寿命が削れるんです。


慎一郎が、自分の身を守るのか、名前も知らない赤の他人を救うのか、もがき苦しみながら迷う様は、どこか他人行儀ではない気がしました。

わたしもこのような究極の選択を迫られたら…


最後の方、葵が涙した場面で、結末は予想することが出来ました。

その通りに事が進み、エンディングを迎えましたが、なんだかすっきりとした読後ではなかったです。

しかし、読んで後悔するような物語ではありません。


もしわたしが慎一郎の立場だったら…

そんなこと、考えたくもありません。

しかし、どうしても考えずにはいられないほどに、この小説は慎一郎の心情をリアルに描いていました。


慎一郎の自信のなさ、ネガティブさには、度々イライラさせられましたが、自分に絶対の自信がある人なんてそうそういないというのが現実だと思います。

それでも、最後に慎一郎がとった行動は、わたしには絶対真似できないと思いました。

真似できないほど、勇気のいる行動だと思うから。



この小説のカバーの内側に、百田尚樹さんが一筆書かれていました。


この本を手にとった瞬間に

あなたの「運命」が、

変わるかもしれません。


まさに、その通りだと思います。

この間の投稿から、あまり間をあけずに読むことが出来ました。

「ほぉ…、 ここが ちきゅうの ほいくえんか。」

タイトルです。

著者の「てぃ先生」は、現役の保育士。

だからこそ、リアルな子どもたちのいろいろな姿を、一番近くで見られるんですね。



子どもって、

すぐに泣くし、すぐに駄々こねるし、何言ってるか分からないし。

そんなイメージが強いと思います。

わたしも、子どもが嫌いなわけではないですが、やはり電車の中やレジャー施設で見る子どもの姿しかしらないので、上に挙げたようなイメージが大きいです。


でもこの本は、子どもってそれだけじゃないってことを証明してくれます。

身体が小さいだけなんです。

もしかしたら、人間の本来あるべき姿がそこにはあるのかもしれません。


好きだって伝えること。

痛いとき、つらいとき、時には我慢が必要だと分かっていること。

大切なものをとられたくないと、必死になること。

甘えたいけれど、素直に「抱っこして」と言えないこと。


大人じゃないですか。

見た目や言葉が幼いだけで、それは完全にわたしたちと一緒の感情です。


…かと思いきや、もしかしたら子どもたちはわたしたちの上を通り過ぎているのかもしれません。

なんの邪気もない純粋な気持ちで発せられた言葉には、独特の重みがあります。

この本を読んでいて思ったことは、

「『ませている』とかではなく、考え想像する力が大人よりも幾倍も優れているのだ」と言うこと。


わたしも元はこんな子どもだったのかなぁと考えると…

それはやっぱり分かりません。

しかし分かるのは、年を重ねるにつれて余計な感情が身体の中に入ったと言うこと。

完全なる純粋さを押しのけてしまったわたしたちだから、純粋さ故の言葉に、はっとさせられるのかもしれないです。


大人になると言うことは…

「『こどもにもどりたい』と おもう」と言うこと。

はるくん、本当にナイスだと思う。

それだったら、わたしは大人なんだなぁ。

10月が終わるぎりぎりに、一冊読み終わりました。

今のところ、1ヶ月に一冊読んでます。


そんな10月に読んだ作品は、椰月美智子さんの「その青の、その先の、」と言う作品です。


書店に並んでいて、表紙が綺麗だったので目にとまりました。

帯を読んですぐに、「ゆっくりした物語かもしれない」と思いました。

あまり展開がないような物語は得意ではないのですが…

何故だかこの小説は購入に至りました。



実際読んでみて…

予想はズバリ的中です。

女子高生の日常を、非常にゆっくりしたテンポで書かれていました。

なので、少し読むのに時間がかかりました。

ゆっくりした小説は、なんだかこちらもダラダラと読んでしまいます。


ですが、物語はすごく良かったと思います。

日常の中のちょっとした事件や、ちょっとした幸せ、ちょっとした闇などをすごく綺麗に表現しているなと思いました。

それは、思春期独特の揺れ動く心情であり、なんとも言葉に言い表すことの出来ない感情です。

そんな微妙な心の持ちようを、椰月さんは見事に表現していると思いました。


主人公であり語り手のまひるは、やはりどこにでもいるような女子高生です。

ですが、自分に素直に、正直に生きています。

時には揺れ動いたり、戸惑ったりすることもありますが、自分の意思をしっかりと持った、芯の強い子だと感じました。


そんなまひるも、物語の序盤は少し弱い子だったと思います。

小説を読み進めていくうちに、本当に少しずつですが、きちんと成長しているまひるの姿がありました。

終盤に起きた大きな出来事は、まひるにとっては頭を思い切り殴られたような強いダメージがあったと思います。

ですが、紆余曲折しながら自分の信じる道へと進もうとしたまひるを見て、その姿を想像して、少し涙が出そうになりました。



わたしは、こんな高校生活が送りたかった。

感情を分かち合える友達、心から信用でき好きだと思える恋人。

わたしの高校生活に足りなかったものはそれだと、大きな声で言うことはできませんが、わたしの行動次第では何か別の未来が待っていたような気がしてなりません。


ですが、それはもう終わった話。

この小説にあるように、人は皆、前を向いて進んでいる。未来に向かって歩いている。

後ろを振り向くことはできても、後ろに下がることは出来ません。

そして、後ろを向きながら歩いていると、いつか転んだり、障害物にぶつかったりします。

だから、やはり前を向いて歩いていかなければならないのかもしれません。



この、「その青の、その先の、」と言う小説は、

自分の高校時代を思い出すとともに、今の自分の生き方をいろいろと考えさせられる。

そんな小説でした。