子どもの頃、父が自分の身体をマッサージしたり

器具を使って「ツボ」を押している様子を、度々見ていました。

 

 

「パパ、なにしてるの?」

 

子どもにとって、親の行動は気になるものです。

 

 

 

1952年の事故で障がいを負った父は

その後、母と出逢い結婚。

そして私が生まれました。

 

・・・と、ここまでは前回綴りました。(ぼくの手とママの手、パパの手、みんな違う)

 

 

 

今回は、右手を失くしハンデを負いながらも、ぼくのお医者さんだった!

というお話です。

 

 

 

事故後、どう生きてきたか?

それまでの仕事は当然できなくなります。

 

 

入院、治療はいうまでもありません。

傷は完治し退院したとしても

社会復帰までの道のりは長かった!!

相当苦労したと思います。

 

これまでの生活を、文字通り「一からやり直す」という覚悟が必要だったと思います。

それまでは右利きだった生活を、すべて左手でする事になる訳ですから。

 

 

朝起きてから、着替え、洗顔、歯磨き・・・

 

とにかくすべて!!

 

もちろん食事もです。

お箸を持つ手もこれまでとは逆・・・

 

文字を書くこともかなり難しかったと思います。

 

 

指使い訓練器具を使って、まずは自在に動かせるように!

 

 

当時は必要に迫られて、という事だったと思いますが

最低限、生活に困らない状態にするには相当大変だったでしょう。

 

 

 

身体は、正直です。

 

手首から先が無いこと、左眼が無いことでバランスが崩れ

肩が凝ったり、身体に不調が生じたりしていたのだと思います。

マッサージ器具や漢方薬など、とにかく健康にはとても気を遣っていました。

そう!今で言う健康オタク!!

 

 

そんな事は全く知らない。

 

私の知る父は、初めから左利きで

何でも自分でこなす父でした。

 

母が手伝おうとすると、「いい!!自分でやる!!」

 

 

 

ある時、私はお腹が痛くなり、いつものように

「パパ、おなかがいたい」

と繰り返し訴える。

 

すると、父の手が私のお腹をあたたかーく包んでくれたのを憶えています。

 

「パパ、はがいたい」

その時も同じでした。

頬のあたりをやさしくさする。

 

不思議といつの間にか夢の中へ・・・

目が覚めた時には、痛みはどこへ行ったやら?

 

 

みなさん!父の職業は何だと思いますか?

 

 

医者?

 

 

ハズレです。

 

 

 

でも、ぼくだけのお医者さん。

 

 

 

手当てとは、よく言ったものです。

 

 

 

 

父だから安心!!

信頼からくる治まりだったと今になってわかります。

 

 

信頼できる事が、安心だと思えるのか?

安心だと思えるから、信頼できるのか?

 

 

 

ぼくは、しんらいできるパパだから

いたい!いたいがとんでったんだね!!!

 

 

パパ!!ありがとう!!