梅棹忠夫『文明の生態史観』(中公文庫) | 高床とゲル

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収録論文から数編を読む。
論文とは自分の考えを世の中に問う行為なのだという、当たり前のことを、改めて感じた。
1957年に発表された「文明の生態史観」は独創的な論文だっただろうと推察できる。出自と血統に基礎を置く「系譜論」的見方を転換して、世界の地図を書き直す作業こそ梅棹忠夫が試みたことだ。「機能論」の立場に立つと彼は言う。文化の表れとしてのデザインを問い、そのことによって世界の国々の位相を示し直す。新しい世界観と史観を呈示しようと彼はする。ヨーロッパやアジアという分け方をそのまま東洋と西洋に区分けし、アジアを一つのように語ってしまうヨーロッパ的な視点に疑問を投げかけ、地域を、生態学的に、環境とその変遷とその中での人々が生み出してきた文化によって再構築する新たなグループ分けの試行は、世界を座標に刻む作業である。ここには当時勢力を持っていた唯物史観や、または、それ自体が進化していくといった進化史観への問いかけがある。文化人類学的な視座を現在時に直結させる力業が見られるのだ。わっかりにくい言い回しになるが、進行形の時間の中で現在をフィールドワークすることで、世界史を作るといったらいいのかもしれない。こんな言い方自体が、ひらがなを多用し、難解な文章を嫌い、平明でありながらすきのない文章を書いた梅棹忠夫に鼻で笑われそうな気がする。
世界が多様性を持っていて、それ自体が様々な窓を持ちながら世界を作っているのだと思い知らされる文章である。これが、戦後十年ほどで現れること自体、かなり世界同時代性を象徴している出来事だと思う。
史観や世界観構築への強度の高い思考は新鮮である。そして、今まだ、特定の窓から価値を決定しがちなこの国のありようを考えるのに、有効な視座を提供している。
以前読んだ『回想のモンゴル』も、太平洋戦争戦時下でありながらも旺盛に行動していく知性と体力が刻みつけた清新な視線が、不朽のアクチュアリティを感じさせたが、この文章も、常に思考と実際の拮抗の中で、アクチュアリティが見せる、実は普遍の在処を示しているような気がする。そう、多様性への開かれという。