人々を愛しなさい

無条件にーー

もし内心何か条件を持っていたら

絶対にあいすることはできない

そうした条件が障壁になってしまう

愛はあなたのためになる

どうして条件などに構う事がある?

愛は実に有益なものだ

それはなんとも深い健康状態だ

無条件に愛するがいい

見返りに何かを求めたりしない事

もし、ただ人々を愛するだけで

恐怖を持たない人間に成長出来ると云う事が解れば

あなたはきっと愛するに違いない!

全くその歓びたけのために!ーー

ふつうの人々は

自分の条件が満たされる時にしか愛さない

彼らはこんな事を云う

「 君はこうこうでなくちゃいけない そうしたら愛してあげる 」

母は子供に言う
「 あなたがお行儀よくしたら愛してあげる 」

妻は夫に言う
「 あなたはこうこうでなくちゃいけないわ そうしたら愛してあげる 」

誰でも条件を設ける

愛はきえうせてしまう

愛というのは無限の大空だ!

それを狭い条件付きの

限定された空間に押し込める事は出来ない

もし家の中に新鮮な空気を入れて

それを四方八方から封じ込めたら

ーー窓という窓を閉め
             ドアというドアを閉めるーー

じきにその空気はむっとしてしまう

いつであれ愛が起こる時には
   それは自由の一部になっている

なのにすぐ

あなたはその新鮮な空気を自分の家に

閉じ込める

そして、すべては腐って汚らしくなるのだ。

これは人類全体にとって重大な問題だ

これはいままでもずっと問題だった

この続きは又、、
     
                 ありがとうございました






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問題は何かを達成する事では無い

問題はその中に歓喜する事なのだ



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僕はYou Tubeを見る事がわりと多くて、そこでは好きだったジェームズ、テーラーやキャロルキング

ニール ヤング

当時映像では見ることができなかった

ブレーヤー達をこうして朝から

気軽に見ることができる。

いつの間にか、自身が

その時代に入り込み

当時の想い

人々

自分

色々思い出され

その自由度

気の広がり

無邪気さ

改めて身につけたい事ばかり

何も無くても、誇れる何かが

そこには、確かに、あった。

飾らない美しさ

形に対する反骨心

偽善に対する怖れ

なつかしあなぁー







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理路整然とした人は
今日を明日のために犠牲にするのが常なのだからーーーー

彼はこう言う
( 僕は明日になったら生きることにする。物事がきちんと収まって、時期も良く、
余暇と、十分なお金と、大きな家とができたら、そのときには生きようじゃないか!
今のいまどうして生きることなんかできる? )ーーー


どの親も子供にこう教えている

現在を未来のために犠牲にすること

この瞬間を次の瞬間のために犠牲にすること

自分を何か他のために犠牲にすること


これが、理屈というものだ

生を延期することーーー

ハートは言う
( 今を生きろ ) と

実際のところ、ほかの生き方など
ありはしない

今を生きるか
あるいは、生きているようなふりをするか?
あなたはけっして生きることがない

ただ延期するだけだ

あなたは死ぬだけで

けっして生きることがない

なぜならば

生きるのに現在以外の時などありはしないからだ

存在は常に現在にある

ところが、理性は

いつも未来のことを考え、計画をたてる

もちろん、誰かが 今を生きろ と言えば、あなたは言うだろう

( どうしてそんなことが可能なもんか ? まず手はずをととのえなくちゃならない、計画をたてなくちゃならない
しかるべき時が来てから生きよう )ーーー

しかるべきときなどけっして来やしない!

いままでに何百万、何千万という人々が死んだが、しかるべき時など彼らにまったく来なかった

それはあなたにもけっして来ないだろう

大いなる知恵はみな愚かしさと似通っている

この世では愚者たちだけが理路整然として見える

愚者たちだけが合理的だ

賢い人々はみな少々常軌を逸してみえる。

彼らは烏合の衆に属さない

彼らは烏合の衆の観念にそぐわない

彼らは彼らなりの存在を生きる

彼らは白痴のように見える

白痴とは誰かプライベートな生を生きているひとのことなのだ!

烏合の衆の生活ではない

群衆の一部ではない

自分自身の生を自分自身の生き方で
生きている人が白痴なのだ

ドフトエフスキーの小説の中の白痴は
まさしく馬鹿呼ばわりされるが、賢い男だ
世の中はあまりにも愚かしくなっていて、賢明でいようとすれば

周りの人たちから
馬鹿に見られるようにしていなければならない

カッコウの巣のインディアンのように

あれは、素敵なお話だ。

心は凡庸なのだ
心は決して偉大にはなれない









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生における最大の奇跡は

愛だ

そして、それは最大の神秘でもある

生命それ自体よりも大きい

なぜならば、愛こそ

生命がそのために存在するまさに

本質そのものだからだ

愛は源であり

愛はまた終末でもある

だからして、愛を取り逃がす者は

すべてを取り逃がす

ただし

愛を感情と取り違えないこと

愛は感情ではない

それはフィーリングではない

愛は最も微細なエネルギーだ

電気よりも細かい

あらゆるエネルギーのまさしく根本

それが愛なのだ

愛は様々な現れ方をする

人間というのは三位一体だ

肉体



愛があなたを通して発現するとき

それはまず肉体を通して現れる

それはセックスとなる

それが

より高次で、より深く、より微細な心を通して現れたならば

それは愛と呼ばれる

さらに魂を通して現れたならば

それは祈りとなる

そして、なかには

その三位一体を超えたものもある

すべてが順調にゆき

自然で流れていれば

それは、素敵な経験だ

しかし、自然に流れずもし上手くいかなかったら、

心に多くの捻れが起きてしまう

そうしたねじれは憎しみとして現れる

憎しみはセックスの破綻

愛のエネルギーの破綻に他ならない

暴力、金銭欲

たえることのないエゴの争い

セックスが破綻したとき

人々は必要以上にものに執着するようになる

もう人間に執着することができないからだ

一人の人間と関わるためには

あなたは流れなければならない

オープンでいなければならないからだ

ものとなれば

流れる必要も、オープンでいる必要もない

ものなら所有することができる

人間は所有できない

ものは死んでいる

人間は死んではいない

人間というのは本質からして自由なのだ
人間を愛することはできる

人間の中に歓喜することはできる

しかし、人間を所有することはできない

自然な性機能が破綻した人々は

金銭に関して、世間の物事に関して

過剰に所有欲が強くなる

もし、セックスに関してすべてが順調ならば、、、、、

あらゆる宗教がそれに反対しているのだから
これは大変難しいことだ

彼らは、心に毒を盛る

文明全体、あらゆる文化がそれに反対しているのだから、これは難しい

彼らはあるトリックを見つけたのだ

ある人間をダメにしたければ

その人の性を捻じ曲げればいいーー

そうすれば、そのひとはけっして

自分の実存の支配者になることができない

そうなれば、戦争にやることもできる

愚かな目的のために犠牲にすることもできる

愛を知ったことのある人間を

無理矢理憎ませることなどできない

もし、生が素敵で

愛がふりそそいでいたら

誰が戦争に行くことなどかまう?

あなたがここにいるのは

破壊するためじゃない

成就するためなのだ

そこで、どの文化も
どの宗教も
どの国も例外なく

あなたのセックスを捻じ曲げようとする

彼らはあなたが自分自身を楽しむことを許さない

自然でいることを許さない

いったん自然になったら

あなたはかれらのコントロールを超えてしまう

あなたがコントロールされうるのは

病気のときだけなのだ

愛は性的なものではないが

それは性から出て来る

そのことは理解されなければならない

あなたが相手の人とのあるしゅの共鳴関係
ほんの数瞬であれ、ある種の一体性を
知るに至ったとき

たとえ一瞬であれ

二人の人間が溶け合って

もし一瞬でもその一体生を知ったならば、生は一篇の詩となるだろう











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