人生と創造の会オリノです。

 

本来「霊の教え」として語られた真理が、なぜ輪廻転生という似て非なるものになったのだろうか。

共通するところ、違うところを見ていこう。

 

1)霊について

 

『霊の教え』

霊は人間の本質であり、無数の転生を通じて進化するもの、人間に生命を与えるもの、意識を成り立たせるもの。

人間の物質的意識・人格とは区別される。

【創造】の進化を担うもの。

 

『輪廻転生』

「霊魂・霊・魂」が人間の本質とされるが、それが何を示すものかの詳しい説明はされておらず、諸説ある。

一説には、霊魂・霊・魂は最初から完全なる存在であり、自由で膨大な知識を保持している。

しかし輪廻転生のサイクルに囚われている間は能力・特性の制約・制限を受けている。 

輪廻から解脱し、本来の自由と能力を取り戻すことが「霊魂・霊・魂」の目的、とするものもある。

 

2)人生について

 

『霊の教え』

新生霊の最初の進化段階。霊の進化に必要な知識・認識・経験・英知・創造的価値と法則を学ぶ期間。

人生を直接に生き、学ぶのは人間の物質的意識・人格である。

どのような人生になるかは人間の物質的意識・人格に委ねらる。

人間の新生に合わせて新しい物質的意識・人格が備わる。

新しい人間・人生・物質的意識・人格が、過去生からの懲罰的あるいは褒賞的な影響を受けることはない。

人生に影響を及ぼすものは物質的意識・人格の形成する意志・想念である。

 

 

『輪廻転生』

因果応報、過去生に負ったカルマによって決まった運命・宿命。

本来はさまざまな苦難・不幸を通じて人間の人格・霊魂が磨かれ、完成することで悟りと解脱に到るという、進化を目的としたものであったと思われる。

だが、輪廻という考えに捕らわれているために、苦の連鎖・避けられない苦・果てしなく続く苦という否定的側面が極端に誇張されている。

今の人生は、前生の結果が招いた宿命であり、未清算のカルマを支払う時である。

因果応報・善因善果・悪因悪果・自業自得であるなら、不幸・不運・悲惨な境遇にある人を援助することは善いことなのか。

それともカルマの清算を妨害し、結果的にその人の苦痛を長引かせる悪しきことなのか。

解釈は教派によって異なっている。

 

 

3)解脱について

 

『霊の教え』

解脱という概念はない。

似たようなものとして挙げるならば、「物質的・肉体的人間としての生」の段階から「半物質的・半霊的人間の生」の段階への移行と、次の段階である「純粋霊としての生」への移行、もしくは最終段階の「【創造】との合一」があるが、いずれも一般的地球人には遥か未来の事柄である。

 

『輪廻転生』

苦の連鎖である輪廻から脱出する唯一の方法である。

だが教派、人により言うことに違いがある。

また全て自称・他称のものであり、確証は無い。

 

以上で十分だろう。

『霊の教え』は一貫した論理を持つものだが、それが人間によって曲解・変造・改竄されると途端に解釈は曖昧になり、一貫性・論理性は失われる。

そのようなことが行われた理由もはっきりしている。

人間の理解不足、欲得のため、支配・奴隷化のためである。

そして悪用は現在も続いている。

 

仮に、もしも、万が一、『輪廻転生』がこの世界の真理を説くものであるならば、あるいはそう信じるならば。

自分が創ったカルマを、他人が軽減・解消することが可能と考えられるだろうか?

それも金と引き換えに。

それが出来るという当人も、カルマが清算できないから人間として生きているのでは?

同じことが解脱にもあてはまる。

それが本当に可能ならば世界はこのような有様ではないはずだ。

確かに一連のニューエイジ・スピリチュアルの流行は地球の人間の意識を前進させた。

多くの人が肉眼では見えなくても存在し続けてきた真実に気づき始めた。

だが、それも停滞し、あげくに勝手で無責任な妄想やファンタジーを垂れ流している体たらくである。

”アセンション”という”くだらない説”がある。

その本質は他力本願であり、努力も苦労もなしに進化・進歩が転がり込んでくるという話だ。

それが起きれば、人間の愚かさも、引き起こした深刻な問題・影響も全て消えてなくなり、愛と平和に満ちた世界がやってくると妄想している。

それは存在しない神と天国に期待するのと同じことだ。

保証しよう。

そんなことは絶対に起きない。

むしろ事態は、そのような人間に現実を突き付け、目を覚ますよう要求するだろう。

 

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